今年の音甘映画館 【散策編】



下北の北口もポッカリと。

建築物には時代の流行りが濃厚に反映されるし、その景色が否応無しに共通認識として人々に刻まれてしまう。ある意味暴力的。だから建築士はとても責任ある仕事だと、素人目に思う。


神楽坂に出来た大手出版社が手がけた商業施設、机上で決めた感バリバリの薄っぺらさには驚愕した。完全にショーケース。人も志もなにも無い。これを売りたいって気持ちすら無かった。暮らしは多重層に出来ていて、選ぶものもいろんな道をあっちにこっちに逸れてこそでしょう?この手の生活雑貨に対して、信条も何もなくデータだけでチョイスする時代なんだなあ。ここの建物は有名建築家が手掛けたらしいけど、外階段の板張りの斜め加減に平衡感覚を狂わせられて、実際に歩く人の気持ちを考えてない象徴だった。


母は渋谷の学校に通い丸の内に勤務していたのに今まで当時の話を聞いたことがなかった。このあいだ実家に行った時に、なんとなしに初めて聞いてみたら、少しづつそして生き生きと母の言葉が浮かび上がってきて、意外な一面があったり、映画や写真でみた風景を超えて目の前に映し出されたのだった。大事に仕舞っていた硬券の切符を見せてくれた。東京大阪間。



「山手通り」と聞いて思い出すのはここ。井の頭通りと交じるところ。上京してからずっと工事してた気がする。拡幅して並ぶ建物もずいぶん変わってしまった。

でも人によって思い出す風景は違うのだろうな。このごろはそういうことを思う。ギャラリーの片隅で見つけたフリーペーパー「トーキョーペーパー フォー カルチャー」で読んだ平野紗季子さんの文章で、「恵比寿から代官山に向かう交差点の角にあるべきはシェ・リュイなんだって思っていたけれど、ずっと子供の頃からあの界隈を知る人に『それ以前にあった駄菓子屋こそが自分にとってのあの交差点だ』と言われた」というくだりがあって、平野さんが綴るめまぐるしく変わる東京へのまなざしが好きだし、とても心に残っている。


この一年もたくさん歩き、歩きながら考えたり、頭のなかがクリアになったり。
(まだ挙げていない写真や記したい散策日記があるので、あらためて)