新文芸坐シネマテークvol.3「クレール・ドゥニ 植民地行政官の娘」

映画批評家大寺眞輔さんの企画による上映会。以前横浜で開催された際にも何回か見に行きましたが、文芸坐に場所を移し、スクリーンとともに観客の輪も大きくなり大盛況でした。今回はクレール・ドゥニの特集。


3月6日(金)第1週目は「パリ、18区、夜。」、1994年の作品で、見るのは90年代後半の公開時以来。ヴィヴァンだったかと思う。にしてもすっかり内容を忘れていた……今改めて、鮮烈だった!フィルムが回り始めたスクリーンの粒子にハッとした。冒頭のヘリコプターから視界が地上に落ちていき、マンボな曲がカーステレオから流れるオープニングのカッコよさったら!なんというか、フィルムの質感とか漂う空気に「80年代を引きづった90年代初頭」を強く感じる。登場人物の境遇も至極あの時代背景を反映している。 
邦題そのままの「都市の片隅の街の映画」だと、時を経たことで改めて認識した。説明補足もなく映し出す引いたまなざし。ざらつきながら艷やかな闇の青は重くじわりと心に滲みを残す。音楽の繋ぎ方がよいなあ。知らない誰かと疎外感の共鳴、そしてカテリーナ・ゴルベワの逞しき美しさ。映画を見ることは世界を皮膚で知ることだ。


次の週、3月13日(金)は「35杯のラムショット」。2008年の作品で初見。日本では公開していなかったところ、大寺眞輔さんが自ら字幕付けて公開してくださったのです。その熱意と行動力が凄い。
先週の「パリ、」と比べると、過ぎた年数を確実に感じさせるほど熟練して落ち着いた佇まい。登場人物の背景をわかりやすく語らないから、しばらくちょっと混乱してたんだけど、淡々とスクリーンに映し出される光景をカメラのファインダーから覗くように見ることで、彼らの心境が私の体内にじわじわと入ってくる。やはり音楽の使い方も素敵。
淡々と、と書いたけど、実のところ全然淡々じゃなくって冒頭からグワア!と鷲掴みされる画面の連なりでした。冒頭の列車シーンはなんとも素敵だったし、花柄のファンシーな炊飯器に泣かされるとはナア・・・。あれ、あちらでもポピュラーなものなの?あとヴァージンメガストアで働いてたとこに泣けた。


クレール・ドゥニといえばtindersticksの劇伴で、「NENETTE ET BONI」をCD屋で働いていたときによくかけていたのです。

Nenette Et Boni

Nenette Et Boni


こういった作家の映画が東京でさえなかなか上映しづらい現況があるなか、目利きたる選者がツイッターでこまめに情報発信を行ない、限定公開することで成功に導くというのは、今の手法として有効なのだなあ。年齢層も思ったよりも若かった。今はレンタルで相当いろいろ見れるし、ネットに上がってたり海外からソフトを取り寄せることも容易になったけれど、情報が山のように入ってくるし、だからこそ劇場公開が待望されるのかな、とつらつら思ったりもする。こういう作品を大きなスクリーンで、しかも満員の会場で見るなんて、とても贅沢で真っ当な経験だ。