今年の音甘映画館

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ということで、最後につらつらと。


今年は小出亜佐子さん、牧村憲一さん、更に小山田くんのお話を聞く機会があって、語る場が出来るほどに時が経ったのだなあ。

「英国音楽と米国音楽の狭間で」記憶って曖昧で更新してしまったりもするし想いは消えてしまったりもする。でも、ちいさな想いがたくさんの人の気持ちを生み出し繋がっていくってことを実感した。同調圧力を回避し「私の想い」を貫き通すということも。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20180426/p1

「音楽とアートの蜜月時代〜“渋谷系”はなぜ生まれたのか」突然「新しいもの」が生まれるのではなく、脈々と繋がって受け継がれる「なにか」を水脈からすっとすくいだし、上流で誰かが送り出す手助けをして、新しい「なにか」をその後の誰かがまたすくい取る。今はまだ見えるその水脈も暗渠になるかもしれない。けれど誰かが気づいて辿ったり、この先へと続けてくれるからこそ文化なのだ。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20180810/p1

小山田圭吾 × 信藤三雄 トークイベント」”どうってことないんだけど、どうってことある”閃光のようなものがずっと続くか消えてしまうかとか。20歳も離れてても、初めて会ったときの印象がずっと続いていて、今もただただ喋っていられる。そこにはお互い尊敬の念と信頼がある。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20180812/p1

そして小山田くんの、加齢を認めながらも(?)新しいものを生み出していく歳の取り方は、フリッパーズの頃から一貫していて、いくつになっても憧れの先輩だなあ。そして、RIDEは蒼き衝動をとっくに過ぎた今もかっこよかったし、フジロックの配信で見たジョニー・マーのライブも瑞々しさを蓄えながら枯れててかっこよかった。そしてヤマジさん。活動の場がますます広がり、冬眠から覚めて解放されたかのようなやわらかさを見ることが増えた1年でした。


10代のころに憧れた年上の方々が今もなお、時代ごとの自分を受け入れて新しい道へ進んでいく姿に、溜息の日常を暮らす力をもらうのです。
自分の歳を考えさせられる事象も増えました。いつまでもここでこのままでいるわけにもいかないのだ。


はてなも、変わりますね。

はてな「ダイアリー」というものは、Weblogでもblogでもなく、記事でもなく、「日記」なのだ。そして自分への、誰かへの、手紙でもあった。 http://d.hatena.ne.jp/mikk/20180830/p1


今日の更新をもって、お引越しします。平成31年/2019年からはこちらの扉をそっと開けてくださいね。

https://mikk.hatenadiary.jp/
(追記:1/1 引越手続き完了したため、こちらに転送されます)

2014年8月29日のある日、突然始めた「音甘映画館 http://d.hatena.ne.jp/mikk」へと、今年も訪れてくださった方、ありがとうございました。

同じ机に向かいあっていても、それぞれ過ごす。中心の灯火に触ることはなく一定の距離を保ち、その光を受け止めつつも、わたしたちはひとりだ。群れ合うことはしない。受け止めた光は私のなかで静かに灯り続ける。その灯りが消えないようにと。そうやって、日々歩いている。
http://d.hatena.ne.jp/mikk/20180707/p1

この想いを胸に、終わります。あと3時間。よいお年をお迎えください。