狂気の愛

上映前のトークショーでのビュル・オジェの言葉、
「二度と取り戻せないイノセンスが詰まった最も思いいれのある作品」
「この作品には『パッションと愛』がある。それ以降はポエティック」
がとてもこころに残っている。リヴェット作品をよく理解しているだろう彼女のこの言葉に、全てがあるのではないかしら。
それにしてもビュル・オジェの品のよさと聡明さといったら!現在の輝くばかりの美しさがそのまま、40年も前の「狂気の愛」のファーストカットの表情になんの抵抗も無く繋がる不思議さよ。

リヴェットの撮る女性はいつも魅惑的でくるくるとした表情が素敵。「軽々とした逞しさ」がある場合が多いと思うんだけど、今作のビュル・オジェ演ずるクレールは繊細でこわれゆく女性だった。

行き先のわからない(でもきっと、という想像を抱えながら)列車に乗り込み4時間強、不穏な空気の中で徐々に加速していき、風景がつぎつぎとめまいするように切り替わり、突然ぱつんと降ろされる、
リヴェットの、若き日のという部分とああ「らしい」なあと部分と、混ぜこぜな感じ。
そしてこの不安定さは「1968年のフランス」という時代(いうまでもなく「五月革命」)が色濃く現れているのではないかなあとなんとなく思った。ユスターシュに繋がる感じというか。

映画と演劇、夫と妻、演出家と俳優、家族、劇団、劇と妻、
対となるものが常にあり、この辺を詳しいひとはうまく言及していると思うけど私にはよくわからない。けれどそれらの謎は謎のままであって、この世には秘密がいっぱいあって、そのなかで曖昧にゆらゆらとしていることが気持ちよかったりする。

音が印象的だった。不協和音の導入部にはぞくっとして映画のなかにひゅるっと入って行ったし、
クレールがテープレコーダーに録音する外の音、ブツブツとマイクに呟く言葉、舞台の効果音だとか。

ジャック・リヴェット作品を日本未公開作品も含めて回顧展として上映されるなんて、ほんとうに驚かされた。贅沢言えば「パリはわれらのもの」を始め全て日本語字幕付だったら嬉しかったケド。
この機会にあと何本か見ることできればなと思う。