人のセックスを笑うな

井口監督の「こういう映画を撮るんだ!」という意気込みと挑戦に満ちた、なんとも逞しくもいとおしい作品だった。


田んぼが広がりぽつぽつと家、右から左へ川が流れ、平行に土手が走り、向こうに山が高すぎず低すぎず連なる。そんな風景に離れて幾年の地元を思い起こした。


散策をする度にいつもはっとする。目の前にびいーーーっと続くまっすぐな道にだったり電柱の連なりにだったり、とことこ横切る猫とか空の色、浮かぶ雲、木々の幹や枝の線、花の色や匂い、そういうものは私に繋がり、私の過去と今日と明日を作り出している。


毎日の規則のなかに曖昧模糊と浮かぶものがあって、必然の偶然の必然がこの世をつくりだしているなんてことをつらつらと思う。
会社行ったり税金払ったり生活必需品買ったりそういうものによって私は成り立っているのだけども、なんで買ったんだろーかという「どーでもいいモノ」だとかなーに言ってんだという「しょーもない無駄話」とか、そういうものこそが私であり、私をつくり、私とあなたをつくりだす。オーイエス


そんなこんなが画面に雄弁に映し出されていて、にこにことスクリーンを見ていた。この風景・このひと・このモノ・この言葉・・・すべてが組み合わさってこの映画であることがすごいなあって思った。勿論思いが少々過多になっているところも気になるけれども、そういうとこもまた愛らしい。


好きなシーンはたくさんあるんだけど、ユリと猪熊さん(あがた森魚!)のシーンは他のどのシーンとも違う色があった。信玄餅のシーンと林檎切ったシーンと。かなわないなあって思った。
20歳のときにこの作品を見たらどう思っただろうか。・・・ああ、もう映画を若い視点で見れないんだと思ったらちょっと哀しくなったのはちょっとした余談。なんで主題歌、フィッシュマンズの「MY LIFE」でそれをmarimariが唄うんだろうってことを歌詞カード見ながら考えてたら、それもちょっと哀しくなったんだけどもね。