柳本浩市展 続き

先日の「柳本浩市展 “アーキヴィスト — 柳本さんが残してくれたもの”」http://d.hatena.ne.jp/mikk/20170603/p1 の続きになります。
昨年急逝した柳本さんが残したコレクションを公開する展覧会へ行ったものの、『圧倒的な物量を目の前にしてお腹いっぱいなのになんだか空虚で、恐ろしくて、よくわからない感情が溢れてきて泣きそうになってしまった。いったいなんなんだろうこれは。』という思いがずっと離れず、書き残すことで気持ちを形にしたいと思ったのです。



美術界では「◯◯コレクション」といって収集家の名前が付いた展示がありますが、それらとは全く意味合いが異なっていました。
1969年山梨生まれで始まる年表には、信じがたいほどの驚くべきことばかりが綴られていました。僅か3、4歳で植草甚一を知り、ジャズレコードを収集。小学生になると自由研究ではミュージシャンのファミリー・ツリーを発表し、アメリカ文化に憧れてアメリカの通販会社から自分で衣類や雑貨などを揃える生活……。
数多の”逸話”も実際に本人と交流があると納得するだろうけれど、知らぬ身には素直に驚くよりも違和感のほうが大きくて、どんな家庭で育ったのかが興味深く思えました。

大人になってからは規格外な知識を元に仕事と人脈が広がるのは当然で、90年代にはナイキエアマックスを大量に仕入れてあの一大ブームを引き起こしたり、PENを始めとするカルチャー誌などへの資料提供は惜しげもなく行ない、デザインの観点から捉えたエアラインブームや北欧ブームなどの企画に携わっていたそう。あの頃の熱に浮かれたようなあれやこれやの裏にはこの人がいたのか!もしかするといわゆるクリエイターたちが柳本さんに負けじと躍起になっていった気さえしてきます。

雑誌などの紙資料を綴じたファイルは「music」「movie」「architecture」なんて大くくりな分類で、時折固有名詞があった中に「Cornelius」があり、ちょうど「69/96 → FANTASMA」の過剰で偏執的な時代のものだけだったのが印象的。
私としてはこれまで地下にあったものが表舞台で消費されていくような90年代後半のノリが苦手で遠ざかっていたからか、柳本さんが絡んでいる企画には積極的に触れずじまいで、結果的に今SNSのTL上で関連事項を見かけていないのは、まつわるリンクを外しているからでしょう。


場内の至る所には柳本さんの「語録」が記されていました。

「僕のファイルは整理では無く、1つのキーワードによってまとめた、ネット検索に近いものです。その情報はソースでしか無く、活用する人によっていかようにも変化します。この可能性を体験から見出す実験でもあります。」twitter 2011.05.04

私が「脳内を覗いてしまった」と感じたのはこの所以だと考えます。まさに尋常でない量の情報ソースがでろりとむき出しになっていたのです。


雑誌は購入するとバラし、キーワードに振り分けて時系列でファイリングされていました。後々なにかのきっかけで「こんな記事があったよなあ」というときに探しやすいそうです。しかしそのキーワード選択には柳本さんの意志が入るわけで、他人には引き出せない可能性もあります。例えば映画などのチラシはジャンルや国別、年代などにわけることはなく「movie flyer(だったかな)」ファイルにひたすら綴じてあるのみで、びっくりしました。デザインが秀逸なものだけ収集したわけでもなさそうで、その辺の「区分け」は本人でないとわからないのではないでしょうか。


消化できないままネットで調べてみるとヒットするいくつかの記事には、柳本さんを僅かでも知るかけらがありました。

「山ほど作られていて誰もがすぐに捨ててしまう物こそ、この世に残らないでしょう。でも、そういう物こそ、この世から消えた将来、その時代を象徴するものになったりすることもあるんです。」
(略)
日々更新しながら作っているスクラップのすべてをスキャンしてクラウド化することが夢だと語っていた中で、とても印象的な言葉がありました。「たとえば、70年代原宿のことを知ろうと思ったら、『70年代』『原宿』というワードを打ち込んで検索しますよね。でも、僕はそこにエモーショナルな要素を入れた検索方法を考えているんです。たとえば『せつない』という感情にヒットする『70年代原宿』の情報といった感じに。僕が目指しているのは情報の、いわばDJなんです。DJは、楽しい曲とか寂しい曲とか、場の空気や人の感情を読み取って曲を選ぶでしょう。僕は情報のそれをやりたいんです。」
→「 服と明日とオシャレの関係 |柳本浩市さんのこと


ネットであらゆるネタを拾える時代において、柳本さんが3歳から集めたモノたちを活用するのは、むしろこれからだったかもしれません。数年前からクラウド化による管理活用を模索し、会場内のビデオトークでも「記事も電子書籍のようなかたちで後で読めるようにし、楽曲のようにライターにも著作権料が入るような仕組みが作れないか」「スキャンするとしても、例えば紙質や味は伝えられないから(攻殻機動隊で素子さんが首の後ろにケーブル指す仕草をして)直接髄に入れ込むとか……」などと仰っていて、新しいメディアの創出に向けて活動されていたようです。

「倉庫にあるアイテムは、収集すること自体が目的ではありません。それらを多くの人に活用してもらいたい。そのために必要な情報を整理する技術、分類する仕組みを見つけたい」
「withnews | 『50億個』の日用品を収集 アーカイブの超人、柳本浩市の教え」

選ぶこともクリエイティブだと思うんですが…一連の観察の中で、クリエイティブが生まれる瞬間を知ることができるんじゃないか。デザインされたものだけがクリエイティブじゃなくて、日常の中にクリエイティブが潜んでいて、それをいろいろ検証しながら探り、クリエイティブが表に出てくる瞬間を知るっていうところに最終的に着地できたら。
「まほうの絵ふで | 柳本浩市トークショー at AppleStoreSapporo」

柳本さんの頭の中ではカテゴリーの壁はほとんどなく、全てのものがリンクでつながっているそうです。全てのものがリンクしているというのはインターネットと同じ形で、これからはますますものごとをカテゴリーではなくリンクで捉えることが重要になってくるはずだと柳本さんは言います。
「公開ラボ@シブヤ大学 | ものの背後にあるもの」

「いままでは、情報を発信する側が管理しやすい体制をずっとつくり続けていた。(略)でも、いまはユーザーが情報を取りに行く時代。ならば取り出しやすい形に変えてあげる必要があると思うんです」
→Yanagimoto Koichi -archivist's vision (会場にて販売の展覧会冊子 7Pより)


常に時代の空気を感じた行動をしていることが伺えます。収集家には得てして「こういう物を集める自分が好き」という状態が見られるものだけど、柳本さんはその時代の流れ全体を知ろうとし、単純な「モノ集め」で終わらなかったのでしょう。

今回の記録をどうまとめればいいのかわからなくなってきたけれど、こんな長文を書かずにはいられないほどのパワー(良くも悪くも)に満ちていたことは確かで、いつの日か「これは柳本さんがキッカケなのか」と気づくことがあるのかなと思っています。