6月の青

金曜日の会社帰り。映画を見ようと思っていたけど映像が体内に吸収できなさそうな気がしてきて、では写真展に行こうかなと思えども電車乗り継いで行くのがなんともナアと思案していると、そういえば行きたかったギャラリーがあったナアと駅に降り立ち、ふらふらと歩いてみることにした。


わかりづらい場所にあるそのギャラリーが見事にわからなくなってぐるぐるする。ああこのあたりはそれこそ学生のころから幾度となく歩いているというのに!と思ううちに、あきらめてこの先にある喫茶店に向かうことにした。
むうむうと暑いなか、ゆるゆると静かに蛇行して下る坂道をだらだらと歩き、平坦になってもなおゆるやかに曲がりくねり細く続いていくその道の先にある店。前回訪れたのは春に近づきつつあるころだったか。額に浮かぶ汗を抑えつつ久しぶりに入ると、空気がふっと変わるのがわかる。扉の向こうとは時間の流れが違うように思えるけれど、季節が移り変わっていることが確かに感じられる。ああ初夏なのだなあ。
花瓶に生けられているのは緑がみずみずしい蔦で、白壁に浮かぶ影の線が美しかった。そう、この店に来るといつも影を眺めている。花瓶と草花が織り成す静謐な線、天井に浮かぶモビールは風に吹かれて刻々と変化する描線を辿るのが楽しい。
カウンターに不思議な装置があった。眼鏡のように並んだ2枚のレンズの向こうに月の写真が2枚。レンズを覗くと月は立体に浮かび上がる。100年以上は前のものと思われる、立体写真装置。月はガラス球のように静かに輝き、私の目の前5センチの距離でぼあああっと浮かび上がるのだった。
珈琲をこぽこぽ淹れる音や車が通り過ぎる音、店の人の話、掛かる音楽、鞄から取り出した文庫本、こういったものが私の体内にするすると入っていき、珈琲の苦味とともに染み渡っていく。
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ごちそうさまでした、と外へ出る。まだ明るさが感じられるけれど夜の闇に向かっていこうとするこの空の青の明度は、なぜだかひどく寂しかった。まだ夏に成りきらない、夕方でもなく夜でもない、「狭間の色」がひたひたと忍び寄る。この界隈にわずかに残る昔ながらの住宅街の風情や通りを包み込むように生い茂る木々がそれを加速させる。なんだろうかこの感覚。さっき目の前にあった月は遠く小さく見えた。

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家へ帰り鍵を開け「ただいま」と言うと、「おかえり」と声がした。青はしゅんっと消えてった。