何も変えてはならない


ペドロ・コスタの新作!ってことで胸が高鳴ったものの、「ジャンヌ・バリバールの唄を捉えた音楽ドキュメンタリー」と知ってちょっとためらった。ジャンヌ・バリバールは大好きな女優だけど、アサイヤスの「NOISE」で唄声を初めて聴いたとき、まったく惹かれなくてショックだったから。
今回改めて聴いても、イントロでウオッ!カッコイイ〜と暗闇から立ち上がるリズムとギターにドキドキするも、唄で失速…こういう楽曲には合わなすぎる唄声*1なのだなあ…。
ただ、映像は素晴らしい。黒い闇にぼわんと灯る白い光。そのショットの持つ鮮烈なモノクロームに、カッと体が持って行かれる。
音の構築も面白いけれどそれはあくまでも「映画的」なソレであり、あ、いや「映画」なのだからそれでいいのだけど、ペドロ・コスタが撮ると「ひどく意味ありげ」な意志を持って存在するように思えてしまう。このバンドの音楽性は好きだけど、この映画の中で聴こえる「音楽」には引っ掛かりを覚えてしまった。

ううむ…と幾分気持ちが定まらないまま、中盤のアリアのレッスンを受けるシーンへ。固定カメラで執拗に撮り続けるまるで唄えない彼女を見ていたら、次第に可笑しみが増して来た。笑うところじゃないんだけど、こんなじわじわとくるズレた可笑しみは、彼の映画ならではのもののように思えたし、ああそれこそが「人を撮る」ということなのかも…。

そしてラスト、控え室?でリラックスしたなかで唄われる「ローズ」。これまでの見事なまでに厳しく構図が取られた映像が一転して、空気が変わる。
ずっと彼女の「手の届かない理想」に支配されていた唄がようやく、「自身のもの」となり、バンドメンバーと共有できたような。このシーンを撮るためだけに、今までのシーンがあったかのような。いや、ずっと撮り続けたことで「ここ」に行き着いたんじゃないだろうか。これこそが「音楽ドキュメンタリー」の「あるひとつ」の完成形といえるのかもしれない。
もう一回見たほうがいいかも。この映画のことを思い出すほどに考えるほどに、私は暗闇の奥に潜む何かに手を触れられるような、そんな気がするからだ。

*1:一歩間違えるとマニュエラの「事故レコード」に近い気配が。。。