「Sound Diorama」

先週の木曜日の話。その日は雨が降っていて、さすが「雨Q」さんのイベントだけあるわ…と思っていたら夕刻には止んでいました。そんな少し涼しい秋の夜の、雨上がりの湿った空気に漂う水の粒子みたいな音を堪能したひとときでした。
渋谷の谷底からゆるゆると坂を登ったその上の「7階」からの景色はごちゃごちゃとしながら広がっていて、「え、こっちの方向に紀伊国屋(のビル)が見えるよ?」なんて地理感覚が変になる。このライブハウスには初めて来たけれど、インテリアがムードある作りで窓もあるから閉鎖的な雰囲気がなく、落ち着いて過ごすことが出来ました。カフェな椅子に座っていられるので安心です。

まず最初のゾンデさん。ステージにぽつんと置かれたポータブル・ラジオから気象情報が淡々とした声色で流れだし、後方から鈴の音がチリンチリン…と聴こえぐるりと徐々に近づいてきた瞬間、ゾクッと鳥肌が立ってしまった。空気を変容させ、一気に世界感を作り上げた彼らの演奏にはからだから中身がぽーんと抜けていってしまい、その音に吸い込まれていくのか溶けていくのか不思議な感覚になりました。下のフロアの低音が響いていたのが残念ではあったけれど、細かに繊細にこころを配って、空気を響かせて空間全体を使ってつくりだされる音。演奏者のエゴだの生き様だのが反映されるのではなく、ただ純粋に、美しい音がここで生まれ鳴り響いている。これまでの日本の音楽シーンのセオリーとは違う試みで活動していることがよくわかるのです。
続いてエヌアールキューの演奏は一転、逆方向のおおらかな雰囲気。研ぎ澄まされたゾンデさんの後だと普段なら気にならない部分が立ってしまうのか、各パートが別々に演奏していて、バンドとしてはひとつにまとまっていない印象を受けました。音の扱い方が雑というか、PAと相性が悪かったのかもしれないけれど、耳に痛いくらいの音で心地良くなれなかった…。

最後にRyanFrancesconi。静かで繊細なギター。時間の流れ方が違う。丁寧に(キッチリとというくらいに)一音一音慈しむように爪弾かれ、一曲ごとに手を合わせ「アリガトウ」とおじぎする。彼の音楽は彼の日記みたいだ。それはエゴとか生き様を押し付けるものではなく、日々に込められた「祈り」が伝わってくる。多くを語らず、密やかに、祈る。一本のギターから奏でられた細いけれど確かな強さのある音が会場に広がって、それを吸収したひとびとから編み出されたきもちがきゅうっと一本のギターに返っていく。そしてまたギターから広がっていく…。見えない矢印で循環していくみたい。素敵だなあ…。
あとで「sweet dreams」のブログを読んで笑ってしまったのが、「(ライアンさんは)『ザ・堅実なアメリカ人』とでも言うのか、これがまあとにかく几帳面な性格で、起きるとぴっちり畳んだ布団から荷物からすべてグリッド状に配置、朝食の皿洗いもマメにやってくれるし、MC用の日本語もメモにびっしり、歯磨きは糸ようじも併用」ってところで、うん、すごくわかる…。ふふふ。うん、演奏って性格が出るなあ。

秋の夜にぴったりな特別な一夜だなあと澄んだ心持ちになって、帰路についたのでした。