Simon Werner a disparu

朝からどんより曇り空。
昼前に家を出て、インド料理屋。初めて頼んだ生姜たっぷりのカレーはサッパリとした味わい。山形物産館でさくらんぼのジャムや蕎麦など、鹿児島物産館でかるかんと麦味噌を購入。麦味噌で冷や汁作りたい。
それから朝日ホールへ。フランス映画祭で「消えたシモン・ヴェルネール」を見た。
Simon Werner a Disparu
SYがサントラを手掛けている例の作品。サイトの紹介はあまり読まないでおいたけど、なにしろジャケ写の美しさにやられてしまったし、「高校が舞台」ってことなので気になったのでした。
舞台はパリ郊外の新興住宅街ですが、まるでアメリカ映画を見ているような雰囲気なので驚いてしまった。道幅の広い車道の両脇にゆったりと並ぶ三角屋根の家々。わー、パリも郊外になるとこんな感じなんだ…。フランス映画で郊外というと「憎しみ」を思い出すけれど、本作は中流〜比較的裕福な層のようで移民の労働者階級の若者はいないし、かといってパリのニオイもしない。想像するところの「アメリカの郊外」みたいで、一種「箱庭」のようでもあった。学校生活もまさに「アメリカ映画のソレ」な感じ。
そんななかで、学生の服装がいわゆる「フレンチ・カジュアル」なのが興味深かったなあ。やっぱりアメリカとはセンスの方向性が違う気がする。
それとホーム・パーティでみんなが盛り上がっている曲が基本ロックなのですね。ヒップホップとかテクノとかじゃないんだーって。SYによるインストのほかには、キリング・ジョークとかクランプスとかトム・ウェイツとかが使われてた。これは一般的云々よりも監督の趣味なのかな?あと、女の子が部屋で(こっそり)音楽を聴くときに使ってたのがウオークマンで!カセットの!ええー?ってびっくりした。
で、家に帰ってサイト見たら「舞台は1992年」って書いてあって、そそそういうことー!じゃあ、フランスの若者にヒップホップが市民権を得る前ってことー?若者のこざっぱりした服装もグランジ前ってことー?「ウオークマン」もー?ええー。
敢えて「1992年」に設定した意図はなんだろうと思ったら、監督が中学生の時の経験が発想のもとになっているとのこと。深読みするつもりも知識も無いけど、個人的に「1992年」という時代背景が引っかかる。SYが奏でる不穏な空気に包まれたこの映画は、事件の真相も含めて、90年代半ばごろから表面化する問題をどこかに匂わせていると言えるのだろうか?
秋の枯葉に包まれた校内の空気が素敵だった。乾いているけれど、冬の闇に落ちていく狭間。撮影はクレール・ドゥニ作品でお馴染みのアニエス・ゴダールとな!

今年のフランス映画祭はかなり縮小された気がする。横浜で華やかに開催されていたころが懐かしい…。むしろ今年はよくぞ開催してくださった!というところだろうな。イオセリアーニは岩波待ちとして、「美しき棘」見たかったなあ。

【追記】1992年は「SY『Dirty』出た年なのね」ってことを次の日の日記(←リンク)に書きました。