「ムード・インディゴ〜うたかたの日々〜」

「うたかたの日々」を「監督:ミシェル・ゴンドリー/主演:ロマン・デュリスオドレイ・トトゥ」で映画化なんて、90年代後半の企画過ぎて(あ、アメリは2001年公開でした)泣けてくる&川勝さんが絡んでいるんじゃないかと震えてくる。ああどんなパンフレットつくってくれたかなあ。こういう映画が公開されても街中の至るところで宣伝アイテムを目にしなくなったのは、時代の所以でしょうか。


冒頭から畳み掛けては素っ飛んでくる小道具の数々。わああああっとときめいてくふくふ笑ってしまうよな、チャーミングでファンタスティックでロマンティックでマジカルな映像にゴンドリさんの想像力と逞しさを感じて、スゴいなあスゴいなあ!と興奮&感服しまくり。ひとつひとつのシーンをピックアップしてきゃあきゃあ言いたい気分。ああ、こういう「翻訳」の仕方があったのだなあ。想像力と技術力と資本力が合致したのかもしれない。

しかしこれまでの作品では妄想や夢の表現手段であった手法が、今作では「彼らが生きる世界そのもの」として映し出されるから、テンコモリの刺激的な装飾に脳の奥が疲弊してくる。そうして目の前の光景は吸い込んだ途端にしゅっと急速にモノクロームに蝕まれていく。
カラフルハイテンション&ハイスピードな展開後のモノクロームは美しく物哀しくも、やけにあっというまに感じてしまって、その悲痛な重みが我が胸の奥に刺さらないまま、サーッと進んで終わってしまったのだなあ。。。自分でもびっくりするくらいに。
物語自体よりも、ボリス・ヴィアンのあらゆるトコロから引っ張りだしてくる奇想天外な言葉遊びをそのまま具現化しようと取り憑かれたゴンドリさんの、偏執狂な恐ろしさが先に立ってしまったところもある。40分も長いディレクターズカットのほうが丹念に描かれていただろうし、そちらも見たいとは思うけれど、あの濃密な映像を更に長時間受け止めることは出来ないかもしれない。

なんだかモヤモヤするなあと考えていたのだけど、恐らくは私は「うたかたの日々」そのものが気恥ずかしく感じられてしまう時代のスキマにいたからであって、あの時代の喧騒かのような今作のテイストもやっぱり素直に受け入れがたいのだなと思い至る。漫画化もちゃんと読んでいないし、リバイバル上映も何だかなと遠ざかり、リジューゴーのも見に行っていないのだよなあ、と極めて身勝手な物言いが申し訳ない…。そんなことをツラツラ思いながらなかなか言葉にならず固まらず、今…。