影の列車

今日からフジロック。ひねくれて、スープドラゴンズがかかっていた我が家の朝。


さて、ホセ・ルイス・ゲリン映画祭、ようやく1本見た。いちばん気になっていた「影の列車」を。
『1930年のある朝、忽然と消えてしまったアマチュア映画監督。 その3ヶ月前に彼は自分の家族を撮影していた。ゲリンは彼の残した古いフィルムを使い新たな映画を作りだす。家族の住んでいた家を訪ね、無人の邸内で光と影の戯れにレンズを向ける』
という内容なのだけど、「シルビアのいる街で」のように、美しい映像と音にゾクッとしながらもそこに溺れるのではなく煙にまかれてしまう映画だった。

「かつてそこにあった情景」は懐かしさ故のキラキラさに溢れたモノクローム。そこに誰も居ない部屋のがらんとした様が挟まれる。カーテンのレースがつくりだす影とフィルムが焼かれた様が繰り返されると、ちょっとオソロシサを帯びてくる。
幾度も幾度も繰り返し繰り返し、終わらない輪舞曲のような白昼夢は次第に悪夢にも思えてきた。回り続ける軌跡のなかで角度を変えながらはらはらと剥がれてゆく、そしてふと、「気づく」。

音は立ち上がり、姿は消え、物語が生まれる。音響設計はさすがにこだわりが感じられるけれど、凝った映像のなかでは逆に埋没していたように思えた。古びた加工を施された実験映像の後に見る「クリアな音と風景の驚異的な映像」は、NHK技研の公開映像を見ているような気がしてくるのだった。”驚くべき” 凝った構成・凝った映像*1・凝った音響、どれもがテンコモリすぎで…。そして多分わたしはゲリン監督のリズムとちょっと合わないのかなあと思ったりする。執拗なところがツラかった。シルビアも、いいんだけど途中でちょっとモヤッとしたんだったなー。

キッチリと考えられたショットはいくつも頭に焼き付いているし、音の輪郭は耳に残っている。そうやって存在を残しながら消えていき、わたしの現実との境界線が失くなっていく… ああ、この鑑賞後の感覚が凄まじく、そこにゾッとさせられた。


渋谷へ向かい帰路に就きながら、途中下車して珈琲飲もうとしてた気持ちも失せて帰宅。汗がどっと出てきた。
ベズによるマンチェソング集を聴き、それからRIDEの2ndを聴いた。遠くで花火の音がした。

*1:想起する監督名も含め