「ビフォア・ミッドナイト」→ 「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」

京橋で小津展を見てから有楽町へ移動、「ビフォア・ミッドナイト」を見た。「〜サンライズ」が18年前、「〜サンセット」が9年前。と年を記すとギョッとする。ああ、恵比寿ガーデンシネマで見たんだよなあ。
私が歳を取ったように主演の二人も監督も歳を取った。それが如実に表れていて、前2作のようなロマンチックなトキメキや美しい肢体は消え失せた代わりに、その間の経験が「今このとき」を作り上げているのだ。成熟ともまだ云いがたい。しかし長年時を一緒に過ごしたからこそ、苛立ちがありながらも、理解できないことがあっても、言葉を交わし合い価値観の違いを認識しながら、手を繋ぎ、共に歩いていく。深く刻まれた皺とたるんでる肉はその証なのだ。
ギリシアの強烈な陽光が次第に傾き柔らかく変化していくなか、石畳の街中を二人が喋り続ける長いシーン、ふっと光が目に入ったその瞬間、私が歩いたあの道があの時のあの光が浮かんできて、ボロボロと涙がこぼれてきてしまった。ーーー1995年と2005年のカケラが降ってきてヒャッと目をつぶってしまう。でも今は並んで歩く人がいて、時にぶつかりながらも敬意を持って生活している。ああ時の流れってすごいものだな……
ランチのシーンもよかったな。3世代が男女の関係性をそれぞれの立場で交わし合う。それらの意見は重ならないけれど、テーブルを囲む彼らすべてが共有する記憶として重なり合う、その美しさ。
前作に続きイーサン・ホークジュリー・デルピーが監督と共に脚本を担当。即興のようにも思えるセリフの応酬は台本に記されており、構成を練りつつリハーサルを重ねたそう。会話のテンポもさることながら、ちょっとした仕草などが絶妙に二人のバランスをつくりだしているのもさすがだった。



有楽町から日比谷公園へ向かい井下清の展示を見てから、三田線の内幸町駅から神保町駅へ移動。
神保町シアターで「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」を見た。1988年の映画で古村比呂演じるOLとKONTA演じる制作会社社員が主人公。という設定から浮かぶように、当時のアレやコレやがテンコモリで気恥ずかしいくらい。OPのタイトルロゴだけで、むちゃくちゃ80年代がむわーん。ナカグロも細めなゴシックなフォントも。
太眉は今また流行っているからかそんなにしょっぱくなかった。リカコ(!)の服装、「白シャツにベスト重ねてフリアのロングスカートの変な柄」ってこういうのあの頃流行ってたよねえ。泣けたのは日比谷シャンテ(1987年開業!)では「ベルリン・天使の詩」が上映中、向かいには三信ビルがある!この映画見る前に通りかかってたから、よけいにウワーとなる。それと、渋谷パルコ前のスクランブル交差点。公園通りのGAPがあるとこ、90年代半ばくらいまではずっと壁になってて、広告スペースだったよなあ。それが見えたりしてドキドキした。こういう「時代の風景」が刻まれていることは、本当に大切だなあ。。。

相米監督に師事した榎戸耕史監督のデビュー作で、なぜKONTAを起用したのか謎である。相米作品でバービーボーイズが使われていたから繋がり、、なんてことはなさそうだけど。とはいえ当て書きなのかなと思わせるほど、KONTAは適役だった。でも唄ってるシーンがやっぱり一番かっこよかった。あの人の声は唯一だなあ。
ふたりの不安定な、どっちつかずの、細やかに震える感情を描く映像は優しいまなざし。熱を帯びていく時代に乗れない人へ手を差し伸べるような。「ふたり」でも「ふたりぼっち」でもない、「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」というタイトル表記は、「80年代」を感じさせるだけではなく「意味」が込められているなあって気づいた。
昼に出逢ったふたりが結局一夜を共に過ごす、歩き続ける、近づいていく。「ビフォア」シリーズとおんなじだなー。「マイ・二本立て」がうまく出来た。


京橋「小津安二郎図像学」→ 有楽町「ビフォア・ミッドナイト」 → 日比谷「井下清と東京の公園」 → 神保町「・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・」 この日の午後は見事過ぎるほどの流れと各内容で、大満足だった。