「恐怖分子」/ イメージフォーラム


見て以来漸く書き連ねてみるけれど、言葉にまとめて残しておく術がわからない。20年前に私はいったい何を見たんだろな。記憶の中の映画とは違っていた。あの頃はもっと遠い世界の、フィクションとして見ていた気がする。思い出したのは岡崎京子「リバーズエッジ」のモノローグ。日本で公開したのは’96年だから、岡崎京子は「リバーズエッジ」連載時('93〜94年)に見ていないはず。当時こんな空気を私はちっとも感じ取っていなかった。

『惨劇はとつぜん起きるわけではない/そんなことがある訳がない/それは実はゆっくりと用意されている/進行している/アホな日常/退屈な毎日のさなかに/それは/そしてそれは風船がぱちんとはじけるように起こる/ぱちんとはじめるように起こるのだ』

そんな「ゆっくりと用意されている」惨劇=日常を、楊徳昌は見事に美しく映し出す。暗闇にヌッと手を突っ込んで引っ張り上げる。ちっとも揺らぐことなく、そこらじゅうに散らばってる「分子」ってやつをただただ冷徹なまなざしで撮るだけ。それだけのことが、こんなにも。ぞくりぞくりと圧倒的な切っ先で空気を作り出し、館内を満たす。
誰もが「分子」になり得るし、「分子」に殺られてしまうのだ。

興味深いのはファッションが素敵だったこと!これ、1986年の台湾映画だけども90年代に公開した時はそんなことちっとも思ってなかったはず。だから流行が戻ってきたってことなんだろうなあ。全身白のコーディネートをバチッと決まった構図で捉えてるから、ちょっとoliveを思い起こす感覚があったのでした。この「白の服」も全体の色調と役割を考えてこそなのだろう。赤の血。黒の電話。