オレンジと雲

もう11月なのだな。祝日のため仕事はお休み。ターミナル駅を超えたくなくて、いつもと違う路線駅の店でパンを買い、本を買い、野菜を買って帰宅。静かな空間に身を置きたかったので音楽も流さず、窓の向こうの濃いオレンジ色の樹々が揺れるのを眺めていた。薄い水色の空に映えてきれい。


オレンジ色といえば先日見た黒沢清監督の「岸辺の旅」でのコートを思い出す。いつもと違う事前情報に包まれてはいたものの、今作もやっぱり監督らしいおかしみがあり、ヘンな映画だった。コートも含めた衣裳のおしゃれ具合や、寝室での壁一面の色とりどりの花の鮮烈さはこれまでに無い演出に感じられたけれど、宴会場での”三角形”の構図や光、村で子供の掛け声でワラワラと集まってくる人々や集会所のUFOみたいな天井照明など、映画としての視覚表現のさりげなくも脳内に残る凄まじさ。話として謎なのは二人がどういう日々を重ねてきた夫婦であるか、敢えて語られていない(ありがちな回想シーンが無い)ことで、これからを指し示す映画にしたかったからなのかな。肩書の前に各人がどういう人であり、お互いがどういう存在であったかいまいち掴めず、最後はそ、それで解放されちゃうのー?って思っちゃった私は機微をわかっていないのか。。。
点と線の講義のシーンを見ながら「奈落のクイズマスター」が浮かんできてしまった(深津さんだし)……という戯れ言はさておき、メロドラマかもしれないけれどやっぱりホラーであり、物語性そのものよりは「映像作家」であり、映像によって物語が動くのだなあという気持ちを強くした。


オリヴィエ・アサイヤスの「アクトレス ~ 女たちの舞台 ~」(原題は「Clouds of Sils Maria」、ああなんて酷い邦題だこと!)も見たのだった。ゆっくりと蛇のようにうねって進む雲の流れのように私の心に侵食し続ける。ヴァレンティン(クリステン・スチュワート)とマリア(ジュリエット・ビノシュ)の応酬がすごくって、それによって浮かび上がるビノシュの立ち位置に震えた。脚本の読み合わせで交錯する心理描写には、短絡的だけどリヴェットの「彼女たちの舞台」を思い出したけど、まさか邦題つけた人はここから取ったのだろうか……。プライマルの「コワルスキー」が突如流れてギョッとしつつ、あの使い方にこれまでマリアの存在あってこそであったヴァレンティンの「孤」が見えたから、その後のシーンでの唐突な出来事に繋がって、ぞくりとした。そしてラスト、幾重にも連なる山々とその合間の雲の流れを掴まえたからこその、ビノシュの屹然とした表情が素晴らしかった。最終幕でクロエに視点が動くのではなく、あくまでもビノシュを描いてくれてありがとう。
ところで衣裳提供を手掛けたシャネルは「デジタルではなく35ミリでの撮影を熱望したオリヴィエ・アサイヤスのために、不足した製作費の一部を援助している。文化発展のために優れた才能をサポートするハイブランドパトロン的存在意義も記しておきたい」(公式サイトより)とのこと、さすが。


どちらの作品も見えないものに囚われながら、受け止めて前へ進め!という話……と無理にまとめてしまおう。