インポッシブル・アーキテクチャー

インポッシブルアーキテクチャー」埼玉県立近代美術館にて。
”実現しなかった建築物”の紹介という一風奇妙な企画は、館長の建畠氏が約10年前から構想をあたためていたそうで、タイトルの「インポッシブル」には敢えて見え消し線が入っており、”不可能を打ち消す、本当に不可能だったのかを問う”ニュアンスが込められているとのこと。

以前から「建築物は、設計家の思想と当時の時代背景が風景となって、不特定多数の無意識な思考を長年に渡って作り出す」と感じているのだけど、今回紹介された建築物が実際に存在していたらどうだっただろうか。予算や社会的事件により実現しなかったもの、実現を考えずに表現として制作されたもの、コンペで選出されなかったもの、設計家の問題提起としてのもの、非実現の理由は多々あり、これは無理だろーなんてのもあるけれど、「あり得たかもしれない世界」を想像することは、自己の世界への眼差しを再考することと思えた。
と、かっこつけたこと書いたものの、結局のところ冒頭のウラジミール・タトリン「第3インターナショナル記念塔」にロシア・アヴァンギャルドってカッコいいいいいいい!とテンションが上がるし、ブルーノ・タウトのスケッチはイメージ豊かで素敵だなあだとか、単純な物言いしか出来ない。
最後に一部屋設けられたのは、ザハ・ハディドの「新国立競技場」。一連の騒ぎもすっかり風化した状況下に「日本社会とは」という現実を容赦なく突きつける。実施設計図や構造計算書がずらりと並ぶ様がまさに「生々しい空想」だった。説明文に関わった方々の無念と怒りが感じられて泣けてからの、最後の最後に山口晃会田誠による作品がオチとなって笑う、構成が素晴らしい展示だった。


さて次に常設のコレクション展へ。瑛九の作品がたっぷり鑑賞できて嬉しかった。フォトコラージュのイマジネーション!わくわくして眼の前が次々と広がっていった。更に特別展示「瑛九の部屋」では暗室に「田園」が展示され、調光スイッチを鑑賞者が自由に触り、光をコントロール出来た。この鑑賞方法には驚かされ、実際に調光すると作品への印象が変化し、もっと驚いた。暗がりの世界ではほのかに光を放ち、明るい世界でキラキラと輝く。世界は一辺倒ではないのだ。


京浜東北線で上野へ移動。
国立西洋美術館にて「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」を見た。平日の昼間なのにかなりな人出、穿った気持ちが出てきてしまうけど。コルビュジエによる設計の館内に展示されるのは、コルビュジエが若き日に描いた絵画で、これほどのものを描いていたことは知らなかった。日常を規則性に基づき立体から平面に再構築することを続けた後に「建築」という立体へ移行するのは面白い。

続いてコレクション展へ。ハンマースホイやスーチンの絵画を再び見ることが出来て嬉しい。 


それから東京駅へ。東京ステーションギャラリーアルヴァ・アアルト もうひとつの自然」を見た。先日、朝の満員電車内吊り広告にこの展示が掲げられていて、窓を切り取った写真が素敵だった。ギュウギュウの人の間に窓から風が吹いたようだった。そんな力がアアルトの作品にはある。広告にも使われた写真はアルミン・リンケによる撮影で、展示内でもとてもよかった。光の弱い静かな世界。もっとも、天井の低く狭いこのギャラリーは幾分窮屈に感じて、葉山の巡回のほうで見たほうが気持ちよかったかも。


ぐるりと展示をみてまわった日。