基町高層アパート 屋上見学会と市営平和アパートと鈴が峰住宅を繋ぐもの

昨年9月の広島旅で訪れた市営基町高層アパートの、集合住宅としての構造の凄まじさに度肝を抜かれ、また再訪したいなと思っていました。(旅記録→ 「あのころの未来都市」はつづく ~ 基町団地」)そして今年の5月に、設計家大高正人が基町の前に手掛けていた香川県坂出市の「市営坂出人工土地」(旅記録→「新陳代謝? ~ 市営坂出人工土地 」)を訪れたことで、その思いが強くなっていたら「open! architecture 2015 広島」というイベント期間にガイドウォークがあるというじゃないの!しかも通常非公開の「屋上庭園」を歩けるとな!!! というわけで、いざ広島へ!


金曜日からの雨は土曜日には激しくなり心配したものの、日曜日はすっかり晴れ!

山の連なりのような棟の並びが美しい。

さて広島駅からこちらへはアストラムラインという新交通システムに乗って向かいました。

窓から見える!
新白島駅で下車。駅舎がとてもユニークで、近未来チックなデザイン。



基町アパートがちょうど覗けて楽しい。


ウワー!「あの頃の未来」がここに!!!

大田川へ出て・・・


集合時間となり、説明を受けながらアパート敷地内へ。

このスロープと人工地盤の感じが坂出を思い起こします。


高層棟が人工地盤の上に建っています。

この下には店舗が並んでいるのです。

日曜日ということもあって更に閑散としていますが、アーケードのような天井は光が入るので明るいです。



さてエレベーターへ。スキップフロア構造のため偶数階しか着床しないのです。いよいよ屋上へ!

花や草木が雑多に茂る光景……とても地上何十メートルもの高さにある場所とは思えないよー。

階段を下りると・・・

こんな眺望が広がっているのです。中層棟とスターハウス!現在スターハウスは解体中のため、この光景を望む最後の機会になるそうです……。
(このスターハウス内も見学させていただきました!)


またこんな小さな”庭”があり



屋上を伝って階段を下り、棟から棟へと折れ曲がりながら進んでいくと、北から南へと向かって降りていく格好になります。階段に沿った花壇は段々畑のように広がり、住民たちが日々心を込めて育てている植物からはここで過ごした歳月が感じられるのです。案内人であるアーキテクト広島の方が、丹下健三は美しさを重要視したが大高正人は”人らしさ”を残すように作っていたというようなことを仰って、なるほど……。確かに丹下健三による香川の一宮団地はクールで”人”が感じられないほどだったけれど(旅記録「丹下建築の団地に見る理想 〜 県営一宮団地」)、しかし大高正人は”人らしさ”が生まれる隙間を残しているようでもあります。


見下ろすと広場の緑が広がっています。でもこれは人工地盤の上なんですよね。

別の角度から見下ろすと小学校が。団地から小学校へは人工地盤上の通路を介して登校できるため、歩車分離で安全な構造になっているのです。
ル・コルビュジエの「ユニテ・ダビタシオン」(特に有名なのが第一弾としてマルセイユに建築されたもの→http://www.linea.co.jp/info/detail/?iid=17)に影響を受け、学校・商店街・消防署をも配して”集合住宅”を超えて「ひとつの都市」になっていますが、屋上から見下ろすと隣接する広島城太田川、繁華街、その向こうの遠くの山々を含めて「わが町広島」という大きな都市を感じることが出来ました。また、ル・コルビュジエに指示した前川國男が手掛け、大高正人が設計を担当した「公団晴海団地」では実現出来なかった「ピロティ」を配することでオープンスペースが生まれます。高層住宅が何棟も並ぶと街の中を分断してしまいますが、ピロティによって団地内外の人々の間に風を通しているのです。
被爆により焼け野原になった広島の街を人をいかに復興するのか、建物をつくれば良いのではなく、建物があり「人々が暮らす」都市をつくることが大切であると感じました。

こちら人工地盤上の広場。動物椅子がカワイイ。

前回も撮ったけど「平和湯」

カープ少年がいい味なのですヨ。

これは赤い鯉=カープ

このアパートの詳細については以下のサイトを是非。非常に詳しく説明されており、わかりやすいです。

今回の見学会ではアーキウォーク広島の高田氏が同行し説明くださいました。広島を愛し、この街の建築への愛と知識が詰まった言葉は発見の連続でした。
そこで知った一番の驚きは、大高正人の建築事務所に勤め、基町アパートの設計実務を担当した藤本昌也についてです。

■「市営平和アパート」 ~ 現存する最も古いRC造公営住宅

広島市営アパートには「平和アパート」という、昭和24年に戦後2番めの早さで竣工し、現存するものでは最も古いRC造公営住宅がありますが、これを設計したのが、藤本昌也の父である藤本初夫なのです。藤本初夫は戦後満州から地元の広島へ家族で引き揚げ、広島市の住宅局に勤務した(当時広島市役所には建築技師が全て死亡したような状況だそうです……)初夫氏が手掛けたのがこの「市営平和アパート」であり、家族で居住していました。ここで過ごした日々が昌也氏に大きな影響を与えたことでしょう。その後昌也氏は東京に出て建築を学び、故郷である基町を手掛けることになり、父親の仕事をよく知っている人たちに逢い、縁を感じたそうです。
実は前日に広島市内の建築めぐりをし、ここにも足を運んでいたのでよけいにビックリ……。


改装しているためか外観はそこまで古く見えません。

こちらは増築タイプ。
中の設備はともかく、戦後まもなくの昭和24年に建てられたとは思えません。それも被爆により想像を絶する状況であっただろうに。それはきっと「人々が安心して暮らすことが出来るようにせねば」という行政の強い思いゆえでしょう。父親である藤本初夫が設計した「広島の復興の象徴」を経て、なお解決しない安心安全な住宅問題を解消するべく計画された大規模な公営住宅に携わることになる縁と継承を感じるのです。


さらに驚きは続きます。前日に平和アパートの後で訪れた鈴が峰住宅(市営・公団)内の「鈴が峰第2住宅」は、藤本昌也設計の住宅だったのです。
「鈴が峰住宅」自体は広島駅から20分程度、新井口駅を降りて北側の斜面にズラリと並ぶ住宅群。市営とURが複数棟混在し、それぞれバラエティ豊かなデザインで構成された広いエリアからいくつかの住宅をピックアップします。

■鈴が峰第2住宅

駅からもっとも近いのがこちら。1981年竣工、URによる集合住宅はメゾネットタイプの住戸を持ち、洒落た住棟です。大規模な開発であった基町高層アパートを経て、土地の自然環境を活かしながら新しい暮らしをつくりだそうとする試みが伺えます。



外壁の色合いがこの日の落ち葉との色と似ていて、落ち着いた雰囲気を醸し出していました。80年代にもなると集合住宅も「量より質」を考慮する方向になったきたのかな、市営じゃなくて公団だしね……。今も古びたところが無く、住んでいる人々も大切にしながら暮らしているように感じました。

■市営鈴が峰東アパート


こちらも藤本昌也が手掛けていますが、印象が異なったデザインは高低差25Mにも及ぶ東向きの傾斜地に住棟が並んでいます。

道路から下の棟へ向かう渡り廊下が面白い。その向こうにまた給水塔!

棟と棟の間の通路が路地のよう。


随分降りてきました。ちょうどバスが通り抜ける。

後ろを向いて見上げるオオーっとなる。


もうひとつ、高らかに叫びたいのが・・・

■市営鈴が峰西アパート

こちらは藤本氏は手掛けていませんがスゴイんですヨ。

こ、こ、この段々に配置されずらりと整列した住戸・・・!!!

やー、山の急な斜面を上手く利用した大規模な作りには圧倒です。

上の住戸に向かうには間にある階段を使います。ラインがいいアクセントになっていました。
行き来にはエレベーターがないという反バリアフリー状態ですがね、、、登って行くと・・・

この眺望!広島湾が一望できるのです。ひゃー。

住棟というか5段あるひとかたまりを登り切ると、こんな敷地内通路があります。こう見ると、とても崖のように急な傾斜地を上がったところに思えません。


おっとココで給水塔!裏には山の斜面が。


他の給水塔もカッコイイなあ。

小さな公園に「ふぐの水鉄砲」が!カワイイ!


平和アパート、基町アパート、鈴が峰アパートを広島の街とその歴史、そして自然環境を踏まえながら見て知ることで、「人々の暮らしの場」である住宅は「街とそこで暮らす人々」があってこそであり、セットで考えるべきであると改めて思いました。昨今の建築事情を見ると、如何にお金を生み出すかを先行して考え、それがゴールがあるが故にひずみが生じているように思えるのです。


基町アパートの見学会を主催したアーキウォーク広島は「広島の建築の魅力が認知されることで、地域の建物に関心を持ち、自分の建物に誇りを持つ都市文化創出につなげる」ことを目的としており、「外部からは建築めぐりの人々が多く訪れることで、広島のまちはより美しく、より元気になる!」という将来像に、東京から参加した私はそのまま当てはまったわけですが、今回の旅は広島の建築を意識的にいくつも見て歩きとても楽しかったです。
アーキウォーク広島が発行している「アーキマップ広島」は、広島の建築や街並みを紹介するガイドブックで、観光客である私にもとても見やすく参考になりました。オススメです!
http://www.oa-hiroshima.org/book/book.html