久々の遠足:茨城県日立市の建築まち散歩

先日、久しぶりに遠足に出掛けた。JRの特急に乗るなんて何年振りだろうか。


東京駅から乗車して降り立ったのは茨城県日立駅妹島和世による駅舎が有名になった。

ガラス張りの、透明でフラットなハコはいかにも妹島さんらしい"ゼロ年代の意匠"だなあ。金沢21美で一躍世に知られた、SANAAといえばのこの感じ。



こちらは併設の「映える」カフェ。全面カラス張りで"宙に浮いた"格好。にしても真夏の空調と日差しが気になる。。。オシャレなハコを用意されたものの中身はお任せだから、メニューも店内の状況もまあなんというか……(モゴモゴ)。指定管理ではなさそうな運用はいったいどうなっているんだろう。


日立駅 | 新建築データ

妹島和世による「デザイン監修」という表記が気になっていた。「設計者:SANAA」ではないのよねえ。そしたら既に決定されてる都市計画ありきで「総合的なデザイン監修者を選定する」コンペであって、妹島さんは日立市出身なのね。
コンペで5社から選定/駅自由通路と橋上駅舎整備/デザインの監修を委託 | 日本工業経済新聞社
https://www.jred.co.jp/projects/p078.html
設計自体はJR東日本なのか、コレ。調整がめちゃくちゃ大変だったと思うの・・・


2011年3月26日に使用開始予定が、震災により4月7日に延期というのは当初から重い荷物を背負ったわけだけど、空と海と街と自分が一体化するこの美しい景色は震災を経験した市民に、そして震災を知らないこれからの世代に、どんな景色を心に刻むのだろうか。



外に出るとドーンと待ちかねるのは


日立市シビックセンター。
坂倉建築研究所だけど「坂倉感」が全くない「1990年竣工」に納得の、パールタイルでポストモダ〜ンなアレコレ【⚪︎△◻︎】が随所に。


裏手の住宅との向こうに現れる「異物感」がスゴイ。

妹島さんの「the ゼロ年代」な建築との印象の違いが面白い。どちらも市の都市計画に沿いながら、決定された当時の時代感覚が見事に象徴されているから、まるで違う都市のようだ。

https://www.nikkenren.com/kenchiku/pdf/494/0494.pdf
https://www.pref.ibaraki.jp/doboku/toshikei/kikaku/machi/documents/no41-6~7_2.pdf


隣接したこの建物、外観が特徴的で目に留まる。91年開業の日立ショッピングセンター 核テナントであったイトーヨーカドーが閉店し「市は後継のテナント誘致を進める中で所有者から売却の打診を受け、土地と本館、別館、立体駐車場の3棟を計約9億5千万円で買い取」り、昨年開業。どこの行政でもこんな話題ありますね・・・
日立駅前に再び賑わいを 期待担い「ヒタチエ」オープン [茨城県]:朝日新聞デジタル



さてはて町を歩きましょう。駅前の大通りは商店街という感じはなく、車が走り抜ける道といった塩梅。ゆるやかな坂を上って右に曲がると、街路樹の緑がきらきら眩しい。

と思ったら。ん?なんかいる。

・・・パンダ!!!

サル・・・?

ペンギンだよ。
歩道の真ん中にあるのは自転車を入らせない目的だろうか。にしても。



さて商店街ゾーンへやってきた。国交省「手づくり郷土賞」は1987年。電柱地中化し歩道は石畳に。街並みを楽しみながら買い物をする通りであったことだろう。
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/pdf/Part2_s62/2-66.pdf

しかし今は閉じたシャッターが並ぶ物悲しさが漂う、もはや国内お馴染みの光景。。。


コレはヤバい…

シャッターを閉じて上の住居部分に住んでいる人もいるだろうし、もはや空き家状態の建物もあるだろう。実家を思い出して胸が痛いつらい。。。


!!! なんだこのドイツ表現主義みたいな建物は・・・


なんてウネウネ歩き、経年が感じられる人影の薄い建物の周囲に駐車場がチラホラ、その向こうには新しくマンションが建つ、お馴染みな風景の中を北上し、東西を貫く大通りに出た。



助川町道路元標。元々はここが栄えていたという印でもあり、銀行などが並ぶこの通りには江戸時代の宿場があったそう。


その先には

日立市役所。こちらも妹島和世、名義は「設計:SANAA」 2012年に決定し2019年竣工。

「震災の教訓を踏まえて、新庁舎に備えるべき5つの機能を整備しました。『災害に備える防災拠点機能』『市民にとって便利で使いやすい庁舎機能』『柔軟で効率的な執務機能』『経済性に配慮した環境にやさしい庁舎』『市民が集う交流機能等』です」
震災復興の総仕上げを飾る日立市新庁舎と池の川さくらアリーナ | EMIRA

去年9月の台風13号による記録的大雨で8日夜日立市役所が水没した報道も記憶に新しい。

建て替えに伴い、庁舎の西側約30メートルを流れる数沢川は、市役所の敷地に入る部分が暗渠化され、上部は市役所の駐車場になっている。暗渠の手前は数沢川と平沢川の合流部にもなっている。
日立市役所 暗渠前で越水 数沢川と平沢川の合流部分 「半分は人災だ」地元住民の不安が現実に:東京新聞 TOKYO Web

周囲の道路はうねるように市役所へ入っていく。雨量の想定を甘く見過ぎたということか。にしてもこの立地であるからして、日立出身の妹島さんはピンと来なかったのか。それと車で来庁が当たり前だからか、歩行者の動線や安全は考えられていないなあ・・・と駅から歩いてきた旅人は思うのであった。

市役所のあり方を考えた時、用がある時だけに行く場というよりは、誰もが気軽に立ち寄れる公園のような場になるとよいなと思いました。
「日立市新庁舎」妹島和世+西沢立衛/SANAA - 環境と建築:東西アスファルト事業協同組合

うーん、そんな印象は受けなかったけど、子供の徒競走の練習を見守る母、という光景を見たので案外使われているのかもしれません。


市役所脇の坂道を見上げると山へ通じるのだけど、かつてここには日立鉱山への物資の移送を目的とした「日立鉱山専用電気鉄道」があり、昭和35年廃線になったそう。


街中に不自然な道路兼駐車場が点在していて、暗渠かしら?と思っていたのだけど、線路跡だったのだ!

日本鉱業日立鉱山専用鉄道跡を訪ねて
廃線探索 日立鉱山電車専用線(歩鉄の達人)
マニアな方々の調査、素晴らしい・・・



1946年 戦後の復興事業開始。主幹道路 国道6号線日立駅間に51年 県道開通。81年日立鉱山閉山。83年日立駅前開発整備計画策定、日立銀座モール完成。90年日立シビックセンター開業。91年日立ショッピングセンター(イトーヨーカドー)開業。05年日立駅周辺地区整備構想策定。11年東日本大震災日立駅リニューアル。19年日立市役所竣工。23年イトーヨーカドー跡地にヒタチエ開業。
日立の近現代史略年表 hc_storia


日立市をゆるりと歩きながら街の成り立ちや建築物を見て、その歴史を知ると、繋がってくる。時代の大きな変化に伴う「日立市の都市計画」を強く感じる。
でもそんなことよりも、この街で生活をする人々とすれ違いながら、街の至る所にチョッコリと長年存在しつづける愛すべきモノを見つけたりすることが、報道に依らない、人の営みが伺えて、私の日常につながることを思う。歩いて体感することは面白いなあ。



※鉱山の町というのは閉山とともに衰退するけれど、日立の場合1910年に国産初の5馬力誘導電動機(モーター)を完成により日立製作所が設立、総合電機メーカーとして発展したことが大きい。鉄道や電力などインフラにも大きく携わっているわけで。その基盤となった久原財閥を率いた久原房之助の影響力も鑑みると、日本の近現代が見えてなかなか興味深いですね。。。。
日立製作所 - Wikipedia


続く!