近代美術館にていくつか

再び寒さが戻ったグレイの空の下、東京都近代美術館へ出掛けました。最寄り駅は竹橋だけどたいてい神保町か九段下で降りて向かいます。お堀のまわりを歩くのが好きなのです。

高梨豊 光のフィールドノート

東京を歩き(最新作では都バスに乗り←この作品群のタイトルが素敵すぎる。「亀24」とか系統名なの!)撮影した60年代から現在に至る変貌する「東京という街」の姿、高梨さんが新宿区牛込という東京の中心で且つ下町要素が残る地域で生まれたことが作品に大きく影響しているように思えますが、ノスタルジーに捉えるのではなく、都市論というものがあり、そこには「人の存在」がありました。街を構成する旧き家屋や高層ビルや道路や看板などがただ写っただけの作品から感じ取る美しさや凄みやいびつさやおかしみは、人が作り出したものなのだなあと妙に愛おしいのです。
私のなかにある記憶の写真と繋がったり新たな発見があったり、「目に見えるもの」を切り取りながらも「目に見えないもの」が映し出されていて、見ていてとっても楽しかったのです。散策するように館内を歩きました。

横山大観「生々流転」

2年ぶりに特別展示されていたこの作品全巻を見るのは初めて。
『《生々流転》は大気中の水蒸気からできた1粒の水滴が川をなし海へ注ぎ、やがて龍となり天へ昇るという水の一生を、40メートルにもおよぶ大変長い画面に水墨で描かれた作品』(公式サイトより)です。
技術に裏付けられた壮大で完璧な構成ではありますが、瑞々しく且つ枯れている水や樹々や雲などのなかに鹿や猿や人々がなんとも愛らしく生き生きとしていて、圧倒されるとともに笑みが溢れてしまうような、緊張感を持たせつつも適度な緩みがあって、ゆっくりと牛歩で眺めました。

コラージュ−切断と再構築による創造

コラージュってつくづくセンス、だなあ。そして見る側への挑戦状ともいえるような。作家自身の想像力もあるけれどこちらの想像力が試される。シュルレアリスムな世界にストーリーが生み出されるものもあるけれど、意味があるようで意味が無いようで意味があるような、単純にカッコイイナア!と痺れたのは木村光佑の作品。第2特集ということもあってか作品数が思っていたよりも少なかったのが残念。


休憩所からの風景が好き。

きものの輝き/漆・木・竹工芸の美


少し離れた場所にある工芸館は建物も美しく訪れるだけでも楽しめますがこっちまで見る人あんまりいないみたいでいつも空いてます。きものに関して造詣が深くないのだけど、なんかこう、うっとりさせられるものはあまりなかった、かなあ。。それよりも見に来ていた御夫人のきもの姿のほうが美しく見蕩れてしまった…。
工芸のほうはひとがつくりだした造形美にひたすら関心圧倒で、漆の器のつやつやなフォルムとか陶器のじわじわとした色合いにうっとり…。

ここから千鳥ケ淵から半蔵門の方へ歩くのも好き。