00年代を振り返る〜音楽(narcotic psychedelia ?:編)

  • M:さてはて。巷では最近なにかと「サイケサイケ」という謳い文句を見るけども、そもそも「サイケ」ってナンなんでしょ?
  • Y:確かに、クラブ系のレコのコメントにもやたらと並ぶ「サイケ」の文字、フリーフォークみたいなウンコ語る時にも「サイケ」、ヴィジュアル系風情な音のクセして「サイケ」と、サイケデリックの大安売り!(安い、早い、旨い、わけはないだろがコラ〜)
  • M:ああああの、ここでアチコチdisらないでくださいよ!(ムキー!)まあでも、形容詞/装飾としての「サイケ」が横行してるのには萎えますな…。「ほわ〜ん」としてりゃあ「サイケ」ってさあ。
  • Y:一昔前の90年代だと、ファズ=サイケ的な括り方への反発があって、何をサイケと感じるかに関する深堀りと発掘がなされていたんだけど、最近のは言葉を探す手間がメンドが臭くて「とりあえずサイケってゆっとけ」って感じで、ヤレヤレですな(と書き記してトイレへGO)
  • M:【しばしの沈黙】
  • Y:(トイレから帰ってきたところ、煮詰まるMを見て)あぁ、話の流れが暗黒サイドに落ちそうなので、んじゃ貴方にとってのサイケってどんな音?
  • M:そりゃもう、音甘的にはdip挙げとかないとねえ!というか、dipはエコバ二とか80年代から遡って…という感じだよね。
  • Y:(ビクビクと様子を見ながらも、dipには言及せず華麗にスルーして)80年代/90年代のネオサイケ〜シューゲという流れの中で、確実にサイケ=テクスチャとしての音の表現(ふわ〜とか、ガリガリとか、ピヨ〜んとか)に狭められてるけど、最近のクラウト/スーサイドばやりとかも、なんか修飾としての音って感じで濡れないのが多いんだよなぁ(濡れ=ヨダレでヨダレかけが濡れるという意味です余!)
  • M:ハイハイ、続けてどうぞ〜。(その間にお茶いれてこよっと)
  • Y:ちなみに、イマのBGMは dip の underwater(03年)なのですが「コレ凄くかっこいいです」、と書くように電波で指示をされました。
  • M:ちょっと!何書いてんのよ!えっと、Y氏にとって「今」のサイケってなあに?
  • Y:ゆら帝の 空洞です(07年)はビックリした。音響で遊ぶ感じなら、ディレイにトレモロサンプラーって感じで表層的にコピーできるんだけど、「空洞です」の平常心/醒めた後の感じを真似するのは難しいんじゃないかなぁ。実際、エクストリームな表現って簡単だもんね(毒をヒト盛り&ニコリ)
  • M:「平常心/醒めた後の感じ」っていうのはナルホド。ゆら繋がりでいうなら朝生愛の音に漂う空気、あの「感じ」は言葉では表現出来ないなあ。まず徹底的に掘らざるを得なかった「根」があって、それから客観的になって漂白してる感じがね、いい。
  • Y:そして、あのピアニッシモな音。ライブでは皆、物音ヒトツたてぬよう会場が一丸となって静寂を保守する感じがいいですねぇ。そこにはもう、奇抜とか過激とかって要素は何もない訳で…
  • M:うん、いい意味で「重いエゴ」から開放された醒めたところがいいな。純粋に「音のみ」が存在してる。
  • Y:あぁ、それで「漂泊」ならぬ「漂白」なのね。頭の中がホワイトアウトして、何もない真っ白な空間にポツンと包まれるというか。
  • M:今はカッチリと「こうです」って決められた音が多いように思う。「コレ」と「コレ」と「コレ」を足して混ぜました、って聴き手が入る余地も無いような音。「ストレンジ」と言われてもそうなるように作りこんでるだけで、未完成な「謎」が含まれてないから、ハイそうですかって受け取るしか無いなあと感じてしまう。
  • Y:アレとコレ知ってるからアーでコウでって編集性はもう売りになんないしね(googleさんやネットに訊けばすぐにワカルような程度の知識じゃ売り物になんない、というか)。そういう意味でサイケというキーワードは、情報/記号としての音楽ではなく、身体性に根ざした精神の深淵を揺らすような、そんな音楽に付与したいよね
  • M:この間の朝生愛のライブはホント、そんな音楽だったなあ。今思い出しても涙が…。(フルフル)
  • Y: あ、あと1時間で00年代終わりじゃんか。急げ急げ〜ということで、まとめに入りますかぁ(パタリとバトンを渡す)
  • M:うわー!コレをどうまとめろと…(呆然)って思い出したのは、今年見た「Akron/Family」と「Deerhunter」の共演ライブ。なんでこの組み合わせかという対バンだったけど、まさに「身体性に根ざした精神の深淵を揺らす音楽」と「情報/記号としての音楽」という対比の場だったなあ。やっぱその辺りが00年代を総括して浮かび上がるトコロでしょうか?
  • Y:そうだね、そういう意味では今年体験したソニック師匠とジェイソンさんの各々のライブは対照的だったけど、非常に身体的な音楽だったね。なにしろ同じくワンコード/ツーコードなシンプルな構成なのに、ジェイソンさんの曲は直線的なレールを突き進む感じの高揚感で、ソニックさんの曲はレイヤーを積み重ねる感じでジワジワうねって広がる円環的な高揚感で、と各々の個性まる出しの「まるで違う音」だったのが印象的だった。やっぱり脱情報/記号>人力演奏/身体への回帰は、これからの10年で復興しそうな気がするなぁ(と強引にマトメてみる)
  • M:おお!最後に我らが神のお二方をピックアップするとは…。

ということで、まだ音楽のごく一部しか回顧してないのに、もうすぐ00年代が終わってしまう〜けど、疲れたので続きはまた明日!?