HMV渋谷8月中旬で閉店

1990年代に“渋谷系”の聖地として注目を集めたCDショップ「HMV渋谷」が、8月中旬で閉店することがわかった。同店は1990年にHMV国内第1号店としてオープンし、1998年に現在の場所へ移転。約20年に渡り、渋谷ならではの音楽文化をけん引し続けてきた。店舗前に出された告知ポスターには「渋谷の地にて20年に及ぶご愛顧、誠にありがとうございました」と、ファンに向けた感謝の言葉が綴られている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100607-00000017-oric-ent

このニュースにひどく動揺し、まだ気持ちがまとまっていません。喪失感というのだろうか。
WAVEにciscoにZESTにRough Tradにsome of usに、web店舗になったLINUS RECORDSにAPPLE CRUMBLE、これらの閉店とは違う言いようの無いモノがぐるぐるしてる。

気がつくと思い出話になるし、かといってこれからの音楽業界だの消費だのに関して考察なんて無理だし、気の利いたコト書けそうにないので、これまでに記したレコード屋関連のことをちょっとまとめて、気持ちを落ち着けることにします。ごめんなさい。

ビニールのニオイに包まれて店の人が掛けてるオススメ曲が気になって。並んでるジャケ見てピピっときて手に取って、びっしり書かれたリコメンカードを読んで気になって、試聴して、棚を探って、さんざんウロウロして悩んで、コレ買うって決めて、店の人とお話して、財布からお金を出して、ショップ袋を手にうきうきと店を出る。

私は便利な場所に住んでいるからこんなことできるのだし、まわりに良いレコ屋がなかったら当然ネットを使うことでしょう。

ああ音楽に限らず「物を買う」ってなんだろう。その「物」だけがぽちっと手に入ればそれだけでいいのだろうか?その「物」が「自分のもの」になるに至る「空気」、過去の関連エントリにも書いたように「体験として刻まれて今も確かに繋がっている」ソレを私は大切にしたいのです。

「街から消える店」

カタログ化され切り取られた情報にのっかったジャケット写真ではなくって、私が店に行って見て手に取ったジャケットは体験として刻まれて今も確かに繋がっている。この感覚はうまく言葉にまとまらないんだけど。事前に脳味噌になんにもいれてなくって、いきなり新しい何かにズドン!と出会った感覚は直に刻まれてる。ブログで見て気になってアマゾンでポチッと、という買い方も当たり前の日常だけど、やっぱりあの瞬間の空気を吸い込みたくて今もレコ屋に向かうのだ。
「レコード屋に行く」 

今日は渋谷をちょこっとぷらついたのだけど、目に付くのは閉鎖してるテナントビル。ハンズの隣のマックを始め「当ビルの建て直しのため閉店」と張り紙が貼られたただのハコが歩けば歩けばいくつも見つかる。ギチギチに詰まったビルとビルの間に虫歯のように黒い箱。「パルコパート2」は「耐震補強問題」とのこと*1で、確かに建築年によって建物としてアヤシイところも多そうだし「老朽化」ということもあるだろうけど、ううむ、なんだかむやむやする。70年代にパルコが出来て80年代にセゾン文化が咲き誇り、90年代にはzestのレコ袋持ったワカモノが闊歩して(世間一般にはマルキューとコギャルかねえ)、00年代は「渋谷」という言葉には特別な効力が無くなってしまったように思える。
「渋谷で5時」

「耳に届くまでにどのような経路を辿ったのか」「どのように所有物とするのか」が多種多様化した今、音楽を聴くことは「イベント」でも「装飾」でも無いことを、私はきちんと捉えたい。ひとつの「作品」であるということ。「人が作ったもの」であるということ。だからこそ、「良い音楽に出逢うこと」を、「それに対して私が払う行為(お金を払うことや聴き方など)」を、大切にしてゆきたい。そのきっかけをくださるお店の方々に、愛読するブログの方々に、感謝します。そして勿論、敬愛するミュージシャンの方々にも。
「今年の音甘映画館」

美術展やライブなど書きたいことまだまだあるのだけど、ダメだー書けん!