「スプリング・ブレイカーズ」

金曜の夜。今日はどれを見ようか、来月のスケジュールも含めて考えていて、見る前にゆっくりしたいなーと思って遅めに始まるのにした。レイトよりは早い。
会社を出て繁華街へ向かう、外はまだ明るくてでも少しづつ暗がりへ向かっている今のこのひとときを味わえる場所に行った。会社の場所が変わって寄りづらくなってしまったので、久々だった。頼んだスープは枝豆の冷製で、ひんやりこっくり美味しかった。添えてあるカンバーニュもじっくり滋味深い味わい。食べている間に空にはだいぶ黒が混じってきた。


渋谷。まずは映画の座席を取り、少し時間があるのでブックセンターへ。ちっちゃくなったロゴス(と今は言わないのかな)ではサードウエーブなコーヒーブームに乗っかって、ポートランドの有名な店の豆が陳列されていた。全然売れてなさそうに見える。焙煎日:6月17日ってあるけど、こんな状態悪そうななかに放置されてどんどん不味くなるのにね。勿体ないなあ。こうやって単なるアイコンとして使われるだけで、めんどくさい界隈に消費されていくのはほんとうに哀しい。


さてシネマライズ館内へ。若い女の子グループがいくつもあって驚いた。ポスターのギラッギラしたビジュアルのせいかしら。ライズにも初めて来たような感じで「こまねこ(による上映中の注意)」の「にゃにゃっ?」ってのに「なにこれむかつく〜」という声が聞こえてきたよ… こういう子たちは何がキッカケで”わざわざ”映画見に来るのかな。


アッパーにぎゅんぎゅんトバしてくエレクトロな音に載せて、ギラッギラと露出度の高い男女がわーわーはしゃいでる刺激的な映像に彩られた世界は、もうそれだけで、異常なほどに空虚で刹那な快楽に満ちあふれている。なあんにも無い田舎のタイクツな日常*1なんてクソクラエ!男なんてバッカみたい、狂乱の世界の中で無敵に生き延びるのはワタシタチ!
って映画じゃ実のところ全然無くって、結局のところ、90年代前半の空気を吸って覚醒し90年代半ばの空気に浸かったまま世紀末の手前で踏みとどまってるハーモニー・コリンがただ、そこにいた。彼は叫ぶ、「スプリング・ブレイカーよ、永遠に!」、日本でいうところの「世界塔よ、永遠に!」とでもいうような*2。 かといって幼稚でもないんだよなー。でも今カッコ良くもないんだよなー。記号が散らばってるようで、夢を映像化したみたいな感覚がある。変なバランス。ハーモニー・コリン、40歳…!!! 
強烈な太陽の光を浴びて輝き弾ける躯でイッパイなのに躍動感はなく、スクリーンから漂う空気は鉛の重しをかけられたのようにのっそりと静かだった。


ライズを出て、映画と地続きな光景だろうなあとセンター街を横目に通り過ぎたけれど、呑み会帰りの会社員が多くて若い子はあんまりいなかった。時間的なものかもう渋谷なぞにはいないのか、よくわからない。目の前の飲食店のネオンより、映画の中の蛍光カラーのビキニが目に焼き付いてた!

*1:どうでもいい話しですが、胸の内を吐露させる映画としての小道具だとしても家に電話って、実際今のアメリカではどうなんだろ。

*2:またそれ引っ張りだすかッ