オザケンと呼べなくて

昨日帰宅時に「出演!」と目にしてエエエエエエと驚いて、あそうかライブCD出たからかとそのままタワーレコードに吸い込まれ購入してしまった。ナイス販促・・・。そんでもって聴いたけれどやっぱりこの求められる「オザケン」って感じ、苦手だった。何度でもいうけど私は「オザケン」は好きではない。長い語りを昂揚するあの場で聞いた人たちは1年後、どう考えどう行動したのだろう。2010年て、とても昔に思えてくる。もやもやする気持ちを吐き出すように書き留めた言葉を下書きに保存した。
昨晩23時、眠ろうかと布団でうだうだしてたらメール。大学時代の友人からだった。卒業後一度も逢っていないし、最後にメールのやり取りしたのはいつだったろうか。日比谷公園でのフリーライブを一緒に見に行った彼女から「○○ちゃんと喜びを分かち合いたくて!」と綴られた文面はとても嬉しく、「○○ちゃん」という大学時代だけの呼び名は懐かしかった。そして一瞬にして時を超えてしまう、彼の持つパワーに驚かされた。

帰宅して録画を見る。すらすらと流れるように爪弾かれるギターの音色に乗せて紡がれる唄は、膨張した風船が削ぎ落とされ、この16年!の彼の日々が込められていて、じんとした。「伝えたいひと」に「いまここで」きちんと伝えるうたとことば。空回りする舌なんてもう、ないんだな。ああ、私もようやく素直に聴けるようになったみたいだ。年を重ねるってこういうことなんだな。昨日のクロい下書きは削除した。
再び友人からメール、今度ライブがあるときは一緒に見に行こうと約束した。そのときは「オザケン!」て叫んでみようと思う。


(90年代前半から抜け出せないこれまでのウダウダした記録)
→「どこへゆくのか呑み込まれるのか」http://d.hatena.ne.jp/mikk/20070601/p1
→「coming back!」http://d.hatena.ne.jp/mikk/20100119/p1


ところでいまアルゼンチンを走る旧式の丸ノ内線車両といえば、あれじゃないか!