5つ数えれば君の夢

「どう表現するか」ということにおいて、サブカルメインカルチャーである時代に、岩井俊二椎名林檎エヴァが多数派である時代に、自意識過剰がスタンダードな時代に、自我が育った人なのだなあとメンドクサイことを素直に思いながら、すっかり年寄りな弱々しいまなざしで、シネマライズのスクリーンのキラキラを見つめてた。場面に添うのではなくおかまいなしにひたすら鳴り続ける音楽はお互いにイヤホンしっぱなしなのに話してるみたいだ、ひとりにはなれない感じの。その辺も世代を感じる。
でもおよそ会話で使わないむつかしい言葉を羅列した台詞に、高校生の頃綴った創作ノートを思い出して気恥ずかしくもなった。ああゆうのは時代を超えるね・・・。言葉と心と他者との距離感、あれこそが女子高校生であるのだ。
想いを大仰に書き留めたくなるであろう作品であるし、逆になんにもいう気がしない作品でもある。(私なんて書かなくていいか…と思いながらダラダラ書いているわけだが)
拙い口調で堅い言葉を言わせるために場面を作っているようにも思うし、でもそこに瑞々しいパッションが弾ける瞬間があって、幾度も「ウワー!」って呟いてしまった。
恐らくは子供の頃からひとりでうにうに考えることを好んでいた人が、なぜ映画というたくさんの人とお金を巻き込んでつくることをはじめたのだろうと不思議だったけれど、教室の机の下でこそっと楽しげにステップ踏んでた少女がたくさんの人が集う体育館いっぱいに踊り舞う美しく強靭な姿と、それを祝福するように暗闇からこぼれる光を見たら、ああこれこそが彼女の強い意志と決意表明なのだとぐっと見入ってしまった。
以前「あの子が〜」の予告を見たときに「でろり感」が苦手だなあと見送っていた。今作も私にとって好きな映画とはいえないけれど、あのアップグレード版というか結局おんなじことを言わんとしているのがスゴいなあと思えたし、商業映画をやるうえでスタッフに恵まれているのはそうさせることの出来る、賢さ故の天然さを持つ確信犯な彼女の器量なのだろう。ある意味で「映画自体に思い入れが無い」ことが彼女にとっても回りにとっても、稀有な救いなのではないだろうか。