EDEN/エデン

大好きな映画監督であるミア・ハンセン=ラヴの新作は、”90年代初頭からのフレンチ・ハウスの黎明期を映画化”、更に当時DJとして活躍していた実兄がモデル且つ共同脚本とは恐れ入る……。いったいどんな映画になるのか想像できなかったけれど、引いたまなざしでサラサラと流れる川のように20年間を映し出す、「グッバイ・ファーストラブ」と対になるような印象。ミアの映画はあくまでも客観的に、淡々と時が経過してくのを捉えただけのようでいて、日々のなかに宿る何気ない一瞬を逃さない。
主人公が「90年代ノット・デッド」を地で行くヒトで、たった10何年で機材のアレコレや会場が様変わりし、彼女の髪型や立ち場が変化するなかで、姿も部屋も音楽スタイルも全く変わらずに漂うだけのポールがねえ……。こういう生き方をしたであろう(脚色はあれど)兄をモデル&共同脚本にこんな映画をつくるなんて、ミアは肝が座ってるナア。オソロシイヨ!


冒頭の森のなかの密やかな朝方が胸に滲みた。どうしたって我が若き日々の破片を思い起こさずにいられない。ああいう場にはひとりで行ってひとりで過ごしてひとりで帰ってたけど、楽しかった。そして私も随分と「ポール」だった。わかろうとしてなくて、こだわって。
何気なく交わされた言葉や物や目に写った風景が、実は今の自分に繋がっていることがある。「EDEN」の破片を反芻し「グッバイ・ファーストラブ」での帽子や建築学の講義を思い出し、自分にとっての”それ”が浮かんできている。
最後にポールが消したもの、あの一連の流れ、震えた……。ああゆう存在、きっと誰もが抱えてたはず。勿論私も。そしてあんなふうに消すのだよね。ミアの描き方の、そういうところが好きです。


瀧見憲司梶野彰一の対談がすんばらしかったので、必読です。
特に瀧見さんの発言には泣ける・・・。

>変えないところと変えるところのポイントとタイミングについての普遍的な話でもある

>90年代は何かに完全にハマれて、それで自我を崩壊させるレベルまでいけばトップになれた最後の時代かもしれないですね。幻想というか、勘違いのローカリズムが通用してオリジナルが生まれたというか。2000年代以降って、そこまで対象に埋没していかない感じがする。何でもできるけどなんにもできない的な。何か対象に対し、そのためだったら死ねるかっていうようなところまでいかないというか。でもこの映画は、対象に埋没しているのにキャリアも埋没、という姿を残酷に描いているという。
http://www.honeyee.com/think/2015/eden/index.html

「自我を崩壊させるレベルまでいけばトップになれた」って……うう(さあ、ここで誰を思い出したでしょう?)


さて今回は立川シネマシティでの「極音上映」の機会に見に行った。「爆音」じゃなくて「極音」とはよく言ったナアと思いつつ。

会社帰りに映画を見るために、遠い立川まで来たのは初めてだ。駅周辺はデパートが並ぶ大きな街だ。

モノレールと遊歩道ある夜の街並みはまるで異世界、衝撃的。でもいい雰囲気だなー。にしてもこの90年代前半のニオイ立ち込める「再開発」っぷり。そもそもは「1994年に住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)によって施行されたJR立川駅北口の米軍基地跡地の再開発事業」だそうで。絡むものが大きすぎて、今もなお完了していない再開発。


立川シネマシティ2。映画を見るわくわく感を立ち上がらせてくれる、よい映画館だった。90年代のミニシアターな雰囲気が今の時代に合わせてアップデートしてる。見やすい席だし、席ごとについてる照明がオシャレで、上映開始でフッと消えてくとこが映画へのスイッチになってくれた。
「極音上映」は音が意外なほどにきれいで重くないなあと思ってたら、内容が2000年代に入ってから低音が「ドンドンドンドン」て増してきたのがナルホドだった。

こんなリストを作成した方がいる!便利な時代だ、ねえ。


(追記)ポールの部屋にずっと貼ってあったジャコメッティのポスター、あれの意味を考えている。ジャコメッティの著作を改めて読んでみようかしら。