「あのころの未来都市」はつづく〜 基町団地


広島に行く機会があり、そのときの記録を綴ります。駅含めて周辺が再開発中で、変わる前の姿も見たかったな。
さてはて、路面電車も広島の大きな魅力のひとつ。

線路が車道と歩道とフラットになってたんでビックリ。車もけっこうスピードびゅんびゅん走ってるんですよね。あ、車は全てマツダというわけではなかったヨ。でもお好み焼き屋さんがホント多くて、こじんまりとしててオバチャンが一人で切り盛りしてそうな感じの味のある佇まいばかりだったり、すれ違いざまに男性が「○○しとってのー」「じゃけえ」と言ってたりするたびに「仁義なき戦い」のOPのロゴとメインテーマが頭のなかに鳴り響いたのでした。


広島駅から歩いて十日市交差点へ。

こんな塔が建っていたので驚いた。現在は殆ど使われないそうですが、交通の要所であるこの交差点では、かつて線路間のポイントを制御する職員が配置されていたとのこと。向かいには高層マンションが建ち、ずいぶん様変わりしたのでしょう。
横川の方へ歩いていたところ、橋の上から見えた建物に歓喜

だ、団地!


川にそって何棟も連なっている巨大団地じゃーないですか!これは行ってみようと橋を渡り、団地内へ。

高層の長い棟が「くの字型」にずうっと連なってる!!!これはスゴイ!

ドーン。

1階店舗には床屋さんに美容院。団地の店舗には必ずあるよねえ。

風呂屋さん……の入り口に

・・・!!! こ、これ、は・・・!!!
子供がちゃあ〜んとカープのユニフォーム着てて泣ける・・・!素敵!!!


高層だけじゃなくてよくある中層棟もあり、こちらは建替えのための退去が進んでいるよう。広い敷地には市営・県営・公社と入り交じっている様子。
と、一角にこんなスペースがあり、なんとなく若い人がまちづくり関係で始めたように見受けられ、ちょっと声をかけさせていただいた。

中から20代の女性が出てこられ、伺うと、やはり高齢化問題等が浮上しており、活性化を図るために開設した活動拠点とのこと。
この地域はかつては広島城下の武家屋敷があり、その後軍関係の建物が多く建設されたものの被爆により失われ、広大な空き地となってしまう。戦後になると慢性的な住宅不足によりバラック住宅が河川敷を含めて界隈に大量に建てられ、火災や衛生面などで大きな問題になってしまう。それを解消させる目的で建てられたのがこの基町団地なのだ。広島の歴史を踏まえた上でこの団地を知ると、また見方が変わってくる……。
いくつも連なる「くの字型の棟」はつながっていて屋上は庭園になっており(!!!)、集会室や花壇がある憩いの場であったものの、現在は閉鎖されているそう。機会を得て屋上にあがったところ、とても見晴らしがよく団地とは思えない空間だったそう。

設計は大高正人で、前川国男事務所出身。ピロティや人工地盤により構成された「ひとつの都市」として計画されていた。一大プロジェクトにかける彼の思想や熱意の凄まじさを感じる複雑な造りになっていて、当時最先端の「未来都市」であったはずだけど、高齢化問題や管理維持など問題点はかなり重いだろうなあ(団地誕生の経緯を加味すると尚更)と思わざるを得ません。
既に行政だけでなんとかするのは困難な時代ゆえ、若い世代を中心に地域住民の働きかけが生まれている昨今ですが、この基町高層アパートは歴史的意義が高い建物として、永く後世に残されてほしいと思うのです。

●以下のサイトに詳しく説明されており、とても参考になりました。
http://www.oa-hiroshima.org/buildings/buildings03.html
http://www.arch-hiroshima.net/arch-hiroshima/arch/delta_center/m_apartment.html