東京都庭園美術館


一時休館を経てリニューアル・オープンとなった庭園美術館へ向かった。午後時間休を取得して。よく晴れた12月の空だった。

■アーキテクツ/1933/Shirokane アール・デコ建築をみる

東京都庭園美術館は、1933(昭和8)年に朝香宮家の本邸として建てられた建物を美術館として公開しています。この建物は、1920年代から30年代にかけて世界中で流行したアール・デコ建築が日本で花開いた作例として国内外の専門家から高く評価されており、東京都の有形文化財にも指定されています。
アール・デコ建築の特徴は、建築物の外観そのものの造形的な美しさだけではなく、空間にあわせてデザインされた内装や家具などにもあります。「東京都庭園美術館建物公開」では、通常の展覧会の際には展示していない家具やオリジナルの壁紙、そしてデザインに関わったフランス人室内装飾家アンリ・ラパンやガラス工芸家ルネ・ラリックの作品をあわせて紹介しています。
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/141122-1225_architects.html






内藤礼 信の感情

新館ギャラリーに入ると、まだ新しいにおいがした。本館の、きらびやかで愛らしい装飾をたっぷりと堪能したあとの内藤礼の作品は、削ぎ落とし尽くして最期に残った灯火だった。
ミニマムな作品群を並べる構成はどうやって決めたのかと不思議に思うほどだけど、次第にひとつひとつ浮かび上がる色が異なってくる。ちょうど”きんざ”が出来たばかりの直島で見た、タレルの暗闇を思い出した。
一歩一歩静かに足を止める。
そしてある一枚に向き合ったときに、その真四角の「白」のなかに、自分の姿が映って見えた。

あ、

心のなかにしん、と響いて、涙が溢れそうになった。
ぼわんと浮かび上がる、なにか。
恐ろしくもあり切なくもあり、不思議な感覚でぼんやりしていた私を隅っこでちいさな人形が見つめていた。



そのとき、入口の方から"なんだこれは、なにもかいてないじゃないか"と強く大きな声が聞こえた。その声の主は係の人に説明を受けると、ちらと中を見渡してそれ以上進むことなく出ていってしまった。
それ以降、カツカツと音を立てて歩く人や連れと喋る声が止まらない人たちが続いた。みんな、左肩だけが作品に向いていて、流れ作業で通り過ぎていった。何故「観」ないのだろうと哀しくなって、ああやっぱり「信じる」なんて難しいことだ、こんな気持ちでこの部屋を出るのは嫌だよと思ったときに、上のほうにある「ちいさな四角」に気づいて目が吸い込まれた。そうしたらイガイガした気持ちがふっとほどけて、ほっとした。深呼吸をして部屋を出た。

売店でテキストが販売されていて購入した。

O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか

O KU 内藤礼|地上はどんなところだったか

「ひとにむき きぼうとおもう」
冒頭にあったこの言葉が胸に滲みた。
内藤さんがインタビューで語った言葉「世界には自分以外の人間がいるということを思い出してみたかったのだと思います」を受け、著者の鈴木るみこさん*1がこんなことを書いている。

世界には自分以外の人間がいるし、いたのだということを、はたしてわたしたちは自分自身の身体的実感として「知って」いるのだろうか?

このあたり前の事実にきちんと「気づいて」受け止めて生きること、「ひとにむき きぼうとおもう」こと、それを身体的実感として知ること。



誰もいない部屋には、そこで生きたひとがいるのだ。


外へ出ると陽が傾きながら光を放っていた。

からだ全体に染み渡った感覚が冷たい風できゅっと締まりながら駅へ戻り、バスに乗った。目黒通りは古い家屋の佇まいが結構残っている。ほどなくして下車し、住宅街の細い路地を抜けて喫茶店へ。白いタイルがキリリとして気持ち良い。
しばらくのあいだはずっと私ひとりで、珈琲を飲みつつ先ほど購入した本を読んでいた。ひとり、またひとりとやってきたお客さんは共にオジサンで、「マンデリンを」といいながら席に座り本を読んでいて、いいな、いい店だな。
途中ロイヤルミルクティーを追加して、そろそろ時間だなと店を出た。外はすっかり暗く、テールランプを光らせたバスに乗り、渋谷駅へ向かった。

*1:内藤さんの作品と言葉を吸って導き出される文章の姿勢が好きだなあと調べたら、”smile food”を手掛けた後”クウネル”を立ち上げた編集者のかただったので驚きました。