「ビラ・シリーズ探訪」

渋谷からniceがある遊歩道を抜けて、ラフォーレ原宿を過ぎて文化屋雑貨店に寄ってから歩道橋を渡って明治通りへ入ると、一気に街の雰囲気が変わった。渋谷原宿の喧騒から離れて新宿とのあいだの、”どこでもない街”の空気を持つこの界隈を歩くことが好きだった。副都心線もない頃、渋谷から新宿までよく歩いていたけれど、そのときから気になっていたのは不思議な形の白いマンションで、その後ここには「ピテカントロプス」があり、「岡崎京子が事務所を構えていた」と知って、驚いたものだ。このマンションの角で路地を入ると、一風変わったマンションが続いていて、面白い一角だなあと思っていて、今もこのあたりにくると眺めに歩くのだ。
そんなマンション「ビラ・ビアンカ」に訪問出来る機会に興奮して参加した日のことを綴ります。8月末土曜、集合時刻の10時から陽射しが強く暑い日でした。


■ビラ・ビアンカ


カクカクした様がカーッコいいよねえ!
4月に旧 日仏学院周辺の建築散歩と同じく、建築史家の倉方俊輔さんの解説で知識を伝えてくださいます。
・1964年東京オリンピックの年に建設された「日本初の本格的民間集合住宅」であること
・設計は堀田英二
・寺院などの日本建築を思わせる造りであること。室内には障子もあり、当時の時代背景が伺えること。
・ここは「モダン」なつくりだけど、青い瓦屋根に白い塗り壁が印象的な秀和シリーズは「おうち的」で、今は「オフィスビル的」なデザインで「ハコ」であるというように、時代により「マンションというもの」が変わってきたこと
・当時は集合住宅にローンは適用されなかったため、相当なリッチ層が住民であったこと


いよいよ内部へ!

ロビーは旅館のような石造り。当初はソファーのある場所に池があったそう。こういうところにも時代を感じさせます。エレベーターで屋上へ。

この眺望!

物干しがある!今も使う人いる??

カワイイ子。採光塔だそうです。

さてここからは各階ごとのエントランスを見学しましたが、お住いの方もいらっしゃるので写真は控えます。

エレベーターを降りると「ガラスブロック製の大きな円柱」がドーンとあって、それを囲んで各住戸が配置されていました。この存在感たっぷりの円柱は実のところ「飾り」で、それくらい余裕が取られた造りなのです。
各戸のドアは木製で表面には彫った跡目が美しく残されていました。壁面はコンクリート地そのままですが、流した際の木枠の目が付いています。剥離箇所も無いし施工が良いのでしょう。耐震も問題ないとのことで補強も現状ありませんでした。井桁状に組まれた梁で出来た構造が良いのかもしれません。
また、共用部なのにバルコニーに出られるサッシ窓があるので風通しが良いです。低い天井で落ち着いた空間なれど、開放感があります。当時は勿論エアコンが無いので、如何に風の流れを作るかも必須条件であったとのこと。この風通しも建物の寿命を伸ばしているかもしれません。また、共用階段の手摺がしっかりとした木製で握り具合も良く、きちんと手が行き届いていました。今はエレベーター使いが普通で、階段は非常用として簡易な造りであるとはナルホド。

ひとつひとつにオリジナリティあふれるデザインが施され、それは設計の堀田氏に自由にやらせたからこそ。今のように如何に無駄なく住戸数が取れるかというビジネス有りきでは無いのです。最後にかつてここには「ピテカントロプス」があったお話をされ、新しい住宅をつくろうとした意志が、新しい何かを生み出そうとした人たちに受け継がれたということにグッときます。


■ビラ・セレーナ

続いてお隣の「ビラ・セレーナ」へ。こちらは1971年竣工で坂倉準三没後の坂倉建築研究所による設計。初めて通りかかったときの衝撃と通りかかるたびにハッさせられる黄色が強烈な印象を残します。内部見学は出来ませんでしたが外見からだけでもモダーンなデザインが伺えます。キューブを重ねたような外観は通りからはぴっちり閉ざされているけれど、中庭があって居住者のプライベートが保たれるつくり。

エントランスの門。なんかこう、近未来的。

これは棟内のパイプスペース的なところ。なのにこの黄色づかい!
前年には大阪万博が開催された時代であり、なるほどそういうサイケデリックな感覚があったときなのだなあ。でも元々はあの黄色ももっと落ち着いた色合いで、この床のタイルようなクリームイエローだったそう。


■ビラ・フレスカ

その真向かいにあるのが「ビラ・フレスカ」、1972年竣工で同じく坂倉建築研究所による設計。エントランスは広く取られた階段状でちょっとしたテラスの雰囲気。境界線から我が敷地であると閉ざしてしまうのではなく、周囲との地続き感が印象的。写真を撮っていなくわかりにくくてすみません。

見上げた階段の幾何学的意匠がカッコイイ。


なんて絵になるんだーーーー!そういえば”黄色いマンション云々”という著作タイトルから察するに、小泉今日子はかつて「セレーナ」か「フレスカ」に住んでいたのかな・・・


■ビラ・グロリア
狭い路地をクキクキと曲がり、big loveの前(にある古い木造共同住宅も気になる)を通って曲がると、

ここ、いつもずっと気になってたーーーー!これもビラシリーズだったのか!更に設計は大谷幸夫による大谷研究室。1972年竣工ということで、川崎の河原町高層団地の後なのね。

外壁のコレ、なんだろうか何の目的なのか(室外機じゃないよな)と謎だったんだけどコルビジェ的な意匠のようで「意味はない」らしい・・・


■ビラ・サピエンザ
最後はバスを乗り継ぎ、世田谷へ。世田谷通りから一本入ると閑静な住宅街。実は幾度も歩いたことのある道なりなので、どこにそんなデザイン性高いマンションがあったっけ?と謎に思いながら歩いていくと

え?ここ?地味な普通のマンションでは?坂倉建築研究所による1981年竣工。原宿の黄色い2つから10年経過しています。

エントランスの門が!同じだ!
中に入った途端、息を呑みました。

住棟に囲まれた中庭があり、樹木の緑が茂り、真夏の木漏れ日が差し込んでいました。コンクリート打ちっぱなしの壁面や黒い建具類によりシックな印象があります。80年代に入ったばかりだけどとても「80年代」ぽい意匠。
これまで「都市型」だったビラ・シリーズの「郊外型」としての試みだそうで、確かに外観も周囲の雰囲気に溶け込んでいて尖ったところはありません。でも中に入るとそれだけではない洗練された空間がありました。とても素敵だなあ・・・!

各住戸へは階段で繋がれていて、中庭はコミュニティスペースでもあるとのこと。共用部へのこういった捉え方も「都市型」や「70年代」とは異なります。
たった10年だけど変貌した時代背景を汲み取りながら、これまでの姿勢を保ちつつ新しい暮らしを提案していく理念が伝わってきました。


以上で今回の見学は終了。
「〜ビアンカ」の新たな挑戦、「〜セレーナ」の色使い、「〜フレスカ」の歩道からの連続性と来て、最後の「〜サピエンザ」には地域性を考慮した落ち着きがありながらも新しいものが提示されていてグッと来ました。
「ビラ・シリーズ」は興和商事による開発ですが、時代を追って知ることで「民間集合住宅は如何にあればよいか」を常に考え、継承してきた意志を感じました。その上で単純に素敵〜!カッコイイ〜!って気持ちを抱けることが嬉しい。

どれも施工の良さが大前提で、その後も大切に使われ、維持管理されてきたからこそ美しい姿を保っていることに泣けてきます。住宅に関連した設備は時代とともに次々と更新され、それとともに暮らし方も変化してきました。だから経年劣化は勿論、使いにくさも出てくるのは仕方がないのですが、造り手の意志と想いをきちんと理解出来る人が住み、守り、継承してきたのでしょう。

昨今の民間マンションはゼネコン側が関係法令を守りながら如何に儲けるか在りきで、「マンション・ポエム」なんて言われるようにイメージを売っています。それはそれで経済としては正解だけども、乱立している風景にはなんだか胸焼けがするのです。今では公営住宅が民間集合住宅のようになっているのもおかしな話だ。
倉方さんの解説はわかりやすい語り口のなかに気づきに満ちていて、発見があります。日本の建築史として「集合住宅」というと、イコール「公営住宅」になりがちだけど、「民間集合住宅」にも語られるべき点がたくさんあるのだなあ。長年民間の集合賃貸住宅に住んでいて、いちばん身近な建築といえるのに。
街はそこで暮らす人々がいるから建物があり、その建物が在る街の景色は人々の意識を無意識につくりだす。建物はいつのまにか建てられていつのまにか壊される。そのときに私たちの暮らしと繋がっていたのだと気づく。今ある建築物の歴史を知ることでこの街を知り、未来がどう在るべきか考えることは自分のこれからの暮らしに繋がっていく。


◎ 「坂倉準三のアンスティチュ・フランセ東京と巨匠の足跡」→ http://d.hatena.ne.jp/mikk/20170422/p1
以前書いたこちらも合わせて読んでいただけるとうれしいです。


(余談)
解散後、近くにある教会へ寄ってみました。



東京聖十字教会。小さな商店街の奥の路地を進んだところに唐突に表れる緑色のかまぼこ型が面白いこの教会は、アントニン・レイモンド
による設計の木造建築。関東大震災の翌年につくられました。何故ここに・・・!と思わずにはいられない。