studio voice最終号を手にして

STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2009年 09月号 [雑誌]

STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2009年 09月号 [雑誌]

私は田舎町の商店街で育ち、中学の頃冬眠からむくっと寝覚めたかのように、音楽や映画といったものに浸るようになりました。幸い田舎なのに充実した内容のレンタル屋や音楽喫茶に恵まれたけれど、飢餓感と焦燥感が常にあった私が雑誌から補う部分は大きかったのです。
そのひとつがstudio voice。音楽誌コーナーか美術誌コーナーに置いてあり、藤本やすしさんによるデザイン(当時は勿論知らなかったけど)はインパクトがありました。1冊程度しか入荷しないし毎号見た訳ではなかったけれど、これを読めば何にもない田舎で「カッコイイ」を知ることが出来たのです。
こうやってコドモな私は、「今のこの世界」から自分を切り離し想像するのです、たったひとり何にもない田舎から、東京に繋がり、世界に繋がることを。でもでもまだまだ世界は広いのです。
その後東京での生活が始まり、毎日出会うモノゴトは膨大の数でした。いつも渋谷パルコの地下の本屋から始まりました。「渋谷」に行けばなんにでも出会えたのです。音楽も映画も美術も本も、現在進行形ですぐ目の前にそれはありました。背伸びをしたかったしもっともっと知りたかった。私のなかに埋めたいことがありすぎた。雑誌は情報「発信源」であり、「目利き役」がボイスだったのです。


「ぴあ」で*1ピンポイントで知り得たこともこれを読めば更に知ることが出来たし、これまでの私と今が繋がり、まだ見ぬ今を知りうることが出来ました。
音楽も映画も本も絵画もデザインも写真もファッションも「カッコイイもの」がなんでも詰まってました。でも散漫とただあるだけではなく、しっかりとした大地に屹立する樹木から枝葉が分かれるようにしてそれはあったのです。わさわさした葉っぱをかき分けると、思いがけない出会いもありました。大きな部分から小さな部分へ、小さな部分から大きな部分へ。


全部じっくり読みふけったわけではありません。でもこのちょっと大きめの判版の、ざらっとした紙質でめくるページの、文字が右脳と左脳両方を刺激し、読めなくても理解してなくてもよかった。後で何気なく読み返して新たに気づいたこともあったのです。読み捨てられるカタログではありませんでした。
「親切で」「わかりやすく」「アナタが今欲しているのはこのことデスね?」と「葉っぱだけが」提示されるのではなく、何も知らない不特定多数の「私」に「語ってくれた」のです。
「巻頭特集」だけではなく、小特集もコラムもレビューもお知らせも広告も全てひっくるめて、「studio voice」でした。大げさに言えば一冊まるごとが「複数の視点」によってつくられた「ひとつの存在」として毎号毎号生きていたといってもいいかもしれません。


いちばん熱心に読んでいた時期は次々と「マニアックな」ものが表面化して、「コレを知ってなきゃね!」って時代でした。そういうことがあまりにも多くなって、「マニアックなそれ」は単なる記号となり、ちょうどそのころネットが一般的になりました。ネットは記号を収集するには好都合でした。
「ミュージシャンやデザイナーだから知ってる」それは、フツウの人も知っていることになり、そして私は若い時期を過ぎました。


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時代は変わりました。東京でなくても雑誌でなくても、見たい知りたいという欲求は満たされるようになりました。「今の私のこの世界」がこのまま「広い世界」になるのです。「この世界」でたったひとりでも発信者も目利き役も、共有する人だっているのです。想像しなくてもいいのです。
嬉しくって戸口を広げているあいだに、いろんなことが溢れすぎて麻痺してしまったようです。作り手も受け手も「自分の目と耳と手と足で」確かめなくても許されると思い込んでしまったのではないでしょうか。


かつての私のように「導入口」「通行手形」としてボイスを手にする若い層が、そっくりいなくなったのは確かでしょう。
若い彼らに「切り口」を見せることは出来なかったのでしょうか?
そして、「既に知っている」人々が更にその色や形を深める「触媒」にはなれなかったのでしょうか?
ただ書き手自体に、あらかじめ隣にネットがあったような「新しい血」が欠けていた印象がありました。先日の都築響一さんのインタビューを読むと、何か新しいことをやりたいという人は出版界に行かなくなるだろうなあと思えてきます。


「雑誌だからこそ」のこともあると思うのです。改めて記すと

雑誌の編集者だからこそ出来るのは、いろんな現象を紐づけてまとめあげることなんじゃないだろうか。私たちはどうしても表面的なことしか知ることが出来ない。だけど取材をしインタビューをし、そのもの自体に迫ること、ひとつひとつの積み重ねを「集めて」「まとめて」「編集する」ことはお金をかけて雑誌をつくるひとにしか出来ないと思う。
→「イマドキの雑誌の在り方って?

と素人が勝手にいうのはカンタンで、「ビジネス」だから売れなきゃいけないし、広告がつかなければいけないことは言うまでもありません。


でもアオクサイ言い方をすれば、人が頭と心を持つ限り必要とするものがあり、それは時代とともに変化し終焉を迎えたのではないことを信じたいのです。
暫くしたら誌名を代えて表れるかもしれません。それを手にする私でありたいです。そのころ時代の風はどんなニオイでしょうか。


最後に特に好きな号をピックアップします。

  • 「narcotic psychedelia〜轟音/クラクラ/フィードバック」(2000.7月号)   坂本さんによる表紙から特集の隅々まで、濃密な構成にクラクラ。まさに愛蔵版。他にはwalker Evansのフォトギャラリーや大野一雄のインタビューも!
  • 「MUSIC LIFE〜音のある風景 1996」(1996.10月号)   フィッシュマンズのロングインタビューにぐっときて、灰野さんのインタビューにガツーンと頭を殴られる。何度読んでもそう。
  • 「GOODBAY TO LP JACKETS〜消えゆくカヴァー・アートたち」(1990.5月号)   LPからすっかりCD主体となった当時、ジャケットのアートワークはやはりLPサイズだからこそ!という特集。今となってはCDすらも消えゆく運命だということに泣けてくる…。岡崎京子の「資本主義の産んだ私たちの"消費"という名の宗教」というコラムも素晴らしい。
  • 「Here come the girl!〜キューティたちの60年代」(1994.9月号)   若い頃にスウィンギン・ロンドンなるものに惹かれたか否かは、その後の人物形成に大きな影響を及ぼすのである…なんつって。
  • 「東京100景」(2002.11月号)   パッと開いたページを読むだけでもう楽しい。
  • 「アーティストたちの旅」(2004.9月号)   現代アート作家について知ることも出来るし、(彼らの目で切り取られた)世界を知ることも出来るし、今思えば「雑誌の良さ」が表れてるなあ。

*1:ティーロードは殆ど関わらないまま廃刊してしまった。