思い出すことなど

先週の金曜日から6日間、熊本と福岡を旅してきました。旅記録はいつもどおり少しづつ記してアップします。台風上陸が心配でしたが無事回避、雨に降られることなく過ごし、陽射しが強烈に強く茹だる暑さで、日焼け止めを塗り忘れた掌と足首1,2センチだけが赤黒くなってしまった・・・。


さて帰路についたタイミングで知った「CUTiE」「月刊宝島」休刊の報道には遂に来たかという思いでイッパイです。毎度おなじみ記録として書き留めておくのです(おばはんの消えそうな記憶を外部保存・・・)。90年代自分語りにはヤレヤレと思われるのは承知ですヨ・・・。
わざわざ読まないようになり、表紙からして違う雑誌と見間違えるようになるのは、整形して別人になり延命治療を受けているようだった。思えば読んでいた時期なんて僅か数年なのです。そして雑誌というのは自分が読者であった時期で印象が異なるし、そのときの自分の鏡の欠片なのであるなとこういうときに思います。
私にとっての宝島は、バンドブームに始まって、フリッパーズにスチャダラ登場、オリジナル・ラブの「結晶」あたりまでの音楽シーンを知る雑誌でした。そして「olive」から滲む”ある種のノリ”、それに対する違和感を持っていたところに登場したのが「CUTiE」でした。中川比佐子さんはカッコよくて、湯沢京さんが素敵で、ポップで極彩色な毒々しい感覚が好き!って思った。そして「トーキョーガールズブラボー」を読んで、ジタバタした!それから「リバーズ・エッジ」が始まり、連載が終わったと共にわざわざ読まなくなったんじゃなかろうか、たぶん。それはちょうど私の若かりし日々が終わった証なのかもしれません。田舎から東京を知る雑誌だったと思うとウワー・・・。
今の10代が若さゆえの定まらない気持ちを補完したり受信する役割を、雑誌には託していないだろうとは思う。それでも服装や髪型やメイクに一定の流行が今も未だあるのは、何がロールモデルなのかな。