ルーシー・リー展

ルーシー・リーの陶磁器たち

ルーシー・リーの陶磁器たち

国立新美術館にて。昨年行われた21_21 DESIGN SIGHTでの3人展ではその展示方法に疑問でしたし、まとめて彼女の作品を見る機会は、何年か前のニューオータニ美術館以来でしょうか。
この数年「器」に対する世間の目も変化したし、このような大規模な展示はタイミングがいいかもしれません。金曜の夜間展示に行きましたが、予想以上に人がいて驚きました。土日なんて考えたくないね…


色彩とかたちが見事に溶け合い、品があり優雅で且つ凛と佇んでいる彼女の器は、静かな存在感に満ちています。
生涯を通して作風にさほど大きな変化はないと感じていましたが、最後の「円熟期」と称せられたセクションに並べられた器は、これまで以上に洗練され研ぎ澄まされた姿をたたえていて、向き合った瞬間の胸の高ぶりが全く違いました。クッと掴まれてスッと持ち上げられて、きもちよく一段さらに一段上のところへ行ってしまったような…。エッジのほんの数ミリの差、色の抽出のほんの微々たる違い、そこに彼女のどれほどの意識が注がれているのでしょうか。
キリッとしているけれどやわらかくて、やさしいけれど、孤高…。なんだろうか、これらの器から伝わってくるこの感覚…。
その手前で展示されていたのが、ウエッジウッドのプロトタイプ。新たなモデル製作を要請されたのに採用されなかった幻の作品。こちらも美しかった。ウエッジウッドブルーの持つ伝統とルーシー・リーが持つ新しさに、それぞれが持つ品格と優美さとが見事に合わさって確かにぴったり合うのです。素晴らしい。これが生産ラインに登らなかったことはルーシーにとってもさすがにダメージが大きく、せめてプロトタイプを我が手にと引取り、大事にされたという話がどこか胸に痛む。しかしこれによって、最後の「あの地点」まで辿りつけたように思えるのです。

芸術新潮 2010年 06月号 [雑誌]

芸術新潮 2010年 06月号 [雑誌]

芸術新潮」最新号特集も読み応えアリ。しかしこの雑誌も伊藤まさこさんの連載始まったり(三谷氏の影響もあるのでしょうが)、アレな色を入れ始めましたね…。
それにしても器の展示を見に行く度に、ガラスケース越しなのがもどかしい…この掌に抱えたい気持ちでいっぱいになります。