海列車に乗って「湧水の街」島原市へ

さて。長崎市から東へ向かって電車に乗って、島原市に向かいました。
地図が埋め込みできないので「地図〜島原まで」(←リンク)を参照ください。


JR九州の車両は普通列車だって、木と革のクロスシートなのですよ!こんな列車で学校通ったりってスゴイなあ。地元の人には人気なさそうな気はしますけども。。。40〜50分ほどで諫早市に到着。島原鉄道に乗り換えです。

島原鉄道は海列車



黄色が鮮やかな車両。「島原の子守唄」をモチーフにしたイラストが壁面に。
出発。
しばらく目の前に広がるのは諫早湾干拓地である見通しの良い田園風景。例の水門も見えてくる。そして有明海へ。


 古部駅から海はスグそこ!


海からまた少し離れて田園風景や家屋が広がり、そして

大三東」と書いて「おおみさき」と読む無人駅。ホームに地続きに海岸が広がっているではないですかッ!

この駅舎の向こうはそのまんま海!海!どわー!下車してしばらくぼーっとしようかしらなんて思ったけど。後ろ髪を引かれながら列車は出発し、、、

島原駅へ到着。島原鉄道駅名標はどれも字がめちゃめちゃ大きい。

なぜオサムさんの絵…。

駅前にも「島原の子守唄」の銅像。駅舎は島原城の城門がモチーフなのかな。立派です、ドーン。

島原は湧水の街

島原というと「島原の乱」を思い起こす程度の知識の私でしたが、実は湧水が豊かな街なのでした。街中の至る所から水が湧き出ていて、アーケード街のなかにまであり、全国的にも珍しいとのこと。


「島原湧水めぐりマップ」という地図もあり、そこに紹介されているだけでも30箇所ほど!これを頼りに界隈を巡ってみました。この日もとてもとても日差しが強く暑い日だったので、コンコンと*1湧き流れる水は冷たくて気持ちが良かったです。飲むことが出来るところもあって、中には温泉が出ているところもありました。
何故こんなに湧水があるのかというと、1792年の普賢岳の噴火の際、地殻変動が起きて地割れが生じ、地下水が湧き出したとのこと。

島原城のお堀。

島原城の向こうには「武家屋敷街」があります。

この通りの中央には水路があり、飲料水として使われていたそうで、今も湧水が流れています。

一部中を見学できる屋敷も残っています。人形があるのはご愛嬌。

武家屋敷や路面などは整備されているものの、「観光客向けに新しく」整えすぎず、「いい塩梅で」管理する人の手が入っていて、余白が感じられる静かで穏やかな佇まいに気持ちがしゃんとします。
また、市内の街角に立つ観光案内板もわかりやすく、且つうるさくないように配置されていることも素晴らしかったです。こういう「加減」って難しいと思うのです。これまでいくつかの地方都市を旅してきたなかで、観光バスが入って来やすいように道路や駐車場が整備され、建物が真新たしくコギレイに整えられてツルッとしている観光地には残念に思うことが多かったのです。

島原名物その1「具雑煮

おなかが空いたのでご飯にしましょう。島原名物に「具雑煮」なるものがあるらしいのです。もともと正月に食べる雑煮の、地方色や家庭ごとの違いに興味を持っていたので、ハテどんなものかとても気になります。お城の裏にあるその店は、観光地にありがちな佇まいで正直幾分不安でしたが、中へ。

一人用の土鍋に入っていて、ホントに具だくさん!丸餅に焼穴子、鶏肉、白菜、春菊、牛蒡、蓮根、蒲鉾(黄色と白の2種)、竹輪、薄焼タマゴ、シイタケ、凍豆腐が、透明のあっさりでちょっと甘めのお出汁に入っています。とっても美味しい!さっき幾分不安とか言って申し訳ない!!めちゃめちゃ好みの味で、これは家でも真似してみたいな〜。
お店の人によるとお正月の雑煮もこんなふうに盛りだくさんらしい(勿論家庭や時代によって違いはあると思いますが)。
この具雑煮島原の乱天草四郎が農民達と籠城した際に、もちを兵糧として貯えさせいろいろな材料を集めて雑煮を炊いたのが起源*2とされているのだそう…!天草四郎…素敵だわあ*3

島原名物その2「かんざらし

そのあとはやっぱりデザート!甘味も名物で「かんざらし」というものがあるとのこと。

明治時代初頭に建てられた商家を利用した茶屋で、庭園の池を望みながらいただきます。

大きさ、わかるでしょうか?直径1cmくらいの、小さな小さな白玉団子が蜜のなかにたくさん入っています。白玉のつるんとした喉越しは「島原の湧水」があるからこその美味しさ。量も多くないので、ちょっと涼むのによい感じ。元々は中国から渡ってきたようです。寒天ではなく白玉というのが私には目新しかったです。
具雑煮かんざらしもいくつもの飲食店にあるようで、食べ比べても良さそうです。

再び歩きましょう


青い洋館!なんとも素敵なこちらは喫茶店「青い理髪舘」。しかししかし休みだった!がーーーーーん。
この不思議な店名には由来があるそうで、元々は大正時代に開かれた理髪店でしたが、戦争でご主人が亡くなり、この建物だけが残っていたそう。「モダンなお店」として地元の人々に愛されていたのでしょう、かつての風情を惜しんだ方々が立ち上がり、商店街活性化事業として取り組まれた結果、喫茶とギャラリーとして蘇ったとのこと。この話を読んで、心のなかで拍手喝采。なんとも理想的で幸せな例でしょうか。人の心もお金もそうはうまく同じ方向にまとまらないのが当たり前で、為す術無く解体され、新しいビルやマンションやペンシルハウスが建てられている昨今、この試みは一例としてもっと語られていいはず。私もこの場で知った次第です。
詳しくはコチラ(←リンク)を。
中の様子がわかるブログ「レトロな建物を訪ねて」さん(←リンク)がありましたので、合わせてご紹介。
嗚呼…中におじゃましたかった…。うううう。


金物屋さん。明治時代からの商店のようで、今のご主人がリニューアルされた様子。


暑いねえ…と汗を滝のように全身から流しながら散策しましたが、のんびりゆったりとした街の空気が我が身にしっくりきました。穏やかで風情ある街並みではありますが、過去にはキリシタン弾圧〜島原の乱で住民の多くが死亡したといいますし、西にそびえる雲仙普賢岳の噴火は幾度となく被害をもたらし、1990年の噴火は記憶に新しいところです。そのような重い歴史が積み重なった街ではあります。しかし1996年には火山活動の終息が宣言され、復興に取り組んでいる街の人々の静かな想いが伝わってくるようでした。島原、いい街だったなあ。





 

*1:余談だけどなんで湧き水は「コンコン」なんだろう…

*2:wikiより

*3:若い頃、よくわからないけど天草四郎カッコイイ!と憧れを抱いたクチ…