ヤマジカズヒデ ソロライブ

ヤマジカズヒデといえば類いまれなギタリストとして語られますが、ボーカリストとして評されることはあまり無いと思います。本人も消極的な発言をしていたと思いますが、私はヤマジさんの唄声が好きです。ギターワークに隠れがちかもしれないけど、シャウトするときの、切ないメロディに乗るときの、こちらの胸の奥を掴むその、感じ。うまく言い表せないんだけど、いい声だなあ。
今回はボーカリストとしての魅力が新たに発揮されたライブでした。ギターの音色や聴き手の感傷が加味される前に、純粋に歌声から素の力が伝わってきたのです。どの曲でもギタリストであるまえに、ボーカリストとして存在していました。ギター/ボーカルではなく、ボーカルとして。


驚愕させられたのはめくるめく転調を繰り返す曲で、複雑な構成を持つメロディを地声とファルセットを交互に使いながら(!)唄いこなしていて、目眩でも酩酊でも幻惑でもなく、私は今いったい何処にいるのだろうってくらいに引き込まれてしまった。終わったときの場内の空気が、みんな夢から覚めたかのような感触に包まれていたのが印象的。この曲どこかで聴いた事あると思いながらその場ではわからなかったのだけど、Nancy Sinatra & Lee Hazelwoodの「some velvet morning」だと後で知りました。ウワー!デュエットを一人二役でやってたのか!しかもあんな摩訶不思議な展開なのに!それをさらっとやっている(ように見えた)ことに驚いてしまう。dipではなくヤマソロでのこのメンバーだからこそ生まれたカバーだと思います。そしてこの曲、映画「モーヴァン」のサントラ*1に入ってたから聴いてたのだと思い出しました。”自殺した恋人が残したテープ”という作中の小道具としても機能してる選曲がめちゃめちゃツボで、”mix tape”としても素敵な1枚でとても好きなのです。改めてリストを見るとCanやHolger Czukay、Velvet UndergroundからAphex TwinBoards Of CanadaStereolab…と公開の2002年という時代を感じさせられます。


さて、その後の展開は更に素晴らしいものでした。「ハルシオン」の静寂にはささくれ立った繊細な痛みはなく、「studio」にはあの荒れ果てた徒労感はなくこれから始めようかというポジティブな問いかけをも感じさせ、「after the gold rush」では感触がこれまでとは全く異なっていたのです。私の弱い部分に刺さるような位置にはいませんでした。ふれられない空は「ふれられないように」佇む空ではなく、夕暮れの終わらない空を眺めるのでもなく、明日の朝を望む強さをたたえていました。そんな強い意思が感じられる確かな唄声があり、私は静かな昂りが収まりませんでした。最後の「冬の空気になった」というリフレインが白い息からふと零れ落ちるように朝靄の微かな光を放ち、くっと心に残りました。もう、ほんとうに違う次元にいるのだな…。1曲目の「candy says」が優しく甘くブランケットのような柔らかさで「かつて見た夢を思い起こしている」ように感じた事は、その所以かもしれません。


この変化は、憧れの/同年代の/年下のミュージシャンによるトリビュートで客観的に顧みることが出来たことも大きいのではないでしょうか。これまでカバー曲を多く演奏してきただけに、気付く事もその分あったのではないかなあ。 はぐらかすような物言いも何処か漂っている風情ももう必要なく、継承し継承され同時代に生きることを見つめる足元がそこにあります。
気の置ける仲間とのセッションといった類いではなく、緊張の糸が張ったものでもなく、あくまでもソロミュージシャンとして立脚し、本庄さんのドラムとスドウさんのキーボードによる演奏が自身の唄とギターと共に導き合い作り出した、非常に完成度の高いライブでした。
11月9日 亀戸hardcoreにて。勢いだけでは書けなくて何度も書き足し書き直してしまった…。

*1:

モーヴァン

モーヴァン