横浜の「軽井沢」、そして「丸い道路」、やっぱり給水塔

この週末は、地名と道と給水塔に呼ばれた散策でした。

●土曜日、横浜の「軽井沢」と給水塔

初めて降り立つ駅。ちょっとうねりながらまっすぐに続く水道道路をテクテク歩く。住宅街、いったいここは何処なんだ状態。30分は歩いただろうか、家々のあいだに見えるのは…!

あの山を目指すのだ。
坂を上りきり、高台のてっぺんの、バスが通る通りの隣に。

このあたりは山の幾重もの稜線が街の起伏を生み出していて、いきなり風景が変わるのが面白い。
ここからバスに乗って坂を下る。丘に沿ってぐるりとまわる道路はけっこう急で重力を感じる。


バスは終点の駅まで。ここから電車に乗って移動、横浜駅へ。地図で見て気になった地名があるので向かってみたのです。

ん?軽井沢?

軽井沢ーー。横浜だけど「軽井沢」。
この地名の存在をぜんっぜん知りませんでした。長野の「軽井沢」は「(山を超えて)ようやく荷が軽くなる」ことが由来らしいのだけど、横浜の「軽井沢」は「水が枯れた(=軽い)沢」ということらしい。

不思議なコトに近くに「浅間」なる地名まで。長野だと「あさま」だけど「せんげん」と読む地名は東京など各地にあり、「浅間神社」がやはりありました。ちょうどお祭りをしていて、屋台でにぎやか。


横浜駅周辺はとても人が多く、地元の人は勿論、みなとみらいなど観光の人もかなり多い感じでめちゃくちゃ混雑している。渋谷・新宿よりもすごいんじゃないだろうか。何度来ても地理感覚が付かなくて、迷ってしまう。

●日曜日、「平和」な街、ぐるりと丸い道路と給水塔


この地名も気になるのです。周辺の公共の施設を見るとこの名の由来を考えてしまうのだけど。
更に不思議なのは道路で、地図で見ると(→コチラ)道路が楕円形の同心円状になっている箇所がいくつかあるのです。調べてみると、第二次世界大戦前の昭和14年に当時の東京市区画整理事業を行なった名残のようで、幹線道路と生活道路を分けて考えられていることに驚かされます。この辺りは畑だったから、繁華街を離れた地域に生活圏としての街を作り、交通によってビジネス街とを結ぶ計画もあったことでしょう。結局戦争によって中止され、今となってはこの試みなど意味ないように形成されているのは仕方が無いことだろうなあ。ただ、ちょっと勿体なく思えるのです。
という前置きで、東武東上線、池袋から乗車。殆ど乗ったことなかった。板橋から練馬にかけて途中下車しつつの散策。各駅が独立した街を形成してて面白い。坂を上って下って大きな幹線道路を渡り、また住宅街へ、暫く進んでいくと

ほら、こんなカーブが。手元でぐーるぐるっと地図を広げると、うん、ここがあの丸い道路だ。歩くたびにまあるく曲がる。歩きながら地図を見ると、ぽーんと上空から自分を眺めているようで面白い。

そしていきなり眼前に

ドーン。偶然の出逢い。更に・・・

おおー。
やっぱり給水塔は外せない。

ぐるりと回って有楽町線の駅まで。中華街まで一本で行けるなんてスゴイなー。みなとみらい混むわけだわ…
ちょっと気になったことが繋がって、たくさんの発見のあった散策になりました。