徳島は阿波踊りとともに生きる街

さて和歌山市からフェリーに乗車。

フェリーに乗るのは何回か目だけど、客席のくつろぎ空間の我が家感覚がなんともオソロシイ乗りもの・・・・


2時間ほどで徳島港に到着!ここからバスに乗って徳島駅前へ。

駅前は、なんだかものすごい「南国」感タップリ!

こんな垂れ幕が・・・。今年の3月に「遂に」四国出店を果たしたばかりだそう。全国チェーンといっても製造と物流のインフラの効率化にかかっているわけで、グループ挙げての盛り上げっぷりなんだろうな。


徳島市吉野川の分流である新町川助任川・福島川に囲まれている”中州部分”が駅のある中心街になります。その一角に徳島城跡があり、江戸時代に城下町として栄えた街づくりが伺えます。上空からみると、その形がひょうたんのように見えることから「ひょうたん島」と呼ばれていて、「ひょうたん島一周遊覧船」が出ていました。乗りたかったけど…真夏の陽射しがキビシすぎて…断念。ぐったりしてきたところにゲリラ豪雨!ぎゃーー!ガレージで雨宿りをしていたら傘をくださる親切な方がいらっしゃり、涙。。。
数時間でスッキリ止んで、夜ごはんを食べたあと、まだ少し明るさが残る空の下、川沿いを歩きました。

ライトアップされていてキレイ。ただ、整備されたものの周囲の建物もあいまって素っ気なさもありましたが。。。


そして「眉山」。ロープウェイで頂上の展望台へ。

川に囲まれたこの街特有の地形が見えました。徳島の人たちの思う「空」には眉のように優美な弧が描かれ、この景色が友達や家族との思い出とともに心に刻まれているのだなあ。
ロープウェイの乗り場がある観光会館は立派な建物で、お土産も充実していていろいろ買いたくなります。この手のによくあるしょっぱいさびしさが感じられないのがスゴいかも。外には高速バスが何台も停まっていて、観光スポットとしてしっかりと整備されているのですが、駅方面へ向かう通りは昔からの商店街。再開発も計画されているようですが、眉山の景観を壊すことから反対運動があり、頓挫したままのようでした。市内を歩いていてよく目についたのが狭く細長いコインパーキングで、「鰻の寝床」な家屋がひとつ、またひとつと無くなっていったのかなあと思わされました。


徳島と云えば・・・
えらいやっちゃ
えらいやっちゃ
 ヨイヨイヨイヨイ
踊る阿呆に見る阿呆
同じ阿呆なら踊らなソンソン

街中が「阿波踊り」に溢れていました。銅像も「阿波踊りを踊る人」だったりポストの上にも「阿波踊り人形」がいたり…
開催時期はさぞかしすごい熱気なのだろうなあ。今は静かで穏やかな街並みなのにね。でも街のサインなどが方々にあったり、ちょっとしたところに「外からやってくる人を迎いいれる」体制が整っていることを感じました。元々の基礎体力が充分にあり、受け入れる懐を感じます。幕末には藍産業が盛んで、取引のために多くの人々が訪れ、国内で人口が上位10位に入るほどの城下町だったそう。また阿波踊りの期間中は130万人もの観光客がやってくるそうで、これは確かに「徳島ならでは」なものになるでしょう。
前回書いたように、徳島市和歌山市と同様に、戦時中の大空襲により市街地が焼失した街ですが、見事に復興を遂げています。そりゃあ昨今は中心商店街の過疎化など問題を抱えてはいるけれど、ソウルフードな「徳島流お好み焼き(金時豆入り!)」が賑わってたり、質の高い自家焙煎珈琲店がいくつもあったり、戦後の混乱の中でも我が道我が味をつくり守りながらこの街で暮らしていくのだ、という心意気が伝わってくるのです。
歩いていると何処からか、阿波踊りのお囃子が聞こえてきました。ん?どこから?、、、あ! 街角の小さな公園で踊りの練習をしているのが見えました。子供も大人もいっしょに、一年に一回のお祭りを待ち望んでいるのが伝わってきて、嬉しくなってしまった。「同じ阿呆なら踊らなソンソン」って、すんごい芯を突いてくるコトバだなあ!