キョウトあれこれるるる


路地を行ったり来たり、カクカクと曲がったり進んだりを繰り返す。

おお!素敵な建物。


細かな細工まで美しい、閉校した中学校。

軟式野球発祥の地」?そして「栄養給食先駆けの地」?要はそれだけ歴史を持つ学校だったということか。

これは……どう見ても。。。

床屋さんの店先に。


















久しぶりに歩いた京都の街には、町家を再利用した店舗が増えた印象があった。前からあったけれど、これまでは個人経営のこじんまりした雰囲気だったものが、幾分派手な印象の店構えが増えた気がする。妙に整えられてこなれた佇まいには違和感があり、店の中で働く人が店主ではない感じがするのだ。店主そのものであれば滲み出るいい意味での匂いやノイズが漂っていない。

そしてコインパーキングが圧倒的に増えた。街角の至る所がぽっかりと空いていた。今後どうなるのだろう?

への字口の顔。


夜ご飯に何度か訪れた店が無くなっていて、ショックでクラクラしながら界隈を歩いていたら移転してて驚いた。満席で入れなかったけれど。店の移り変わりはさすがに目に見えてあった。
いつものようにアンデパンダンに行ったらパララックスが無い!移転したって書いてある!どーーーん!
で検索したら、新店舗は新京極で詩の小路ビルって、修学旅行の自由時間で行った中古盤屋があったビルじゃんか!

やっぱりこの店は楽しいなあ。よくわかんないけどピンときたCDをトトトトトッと購入。


以前どこかで貰ったフリーペーパーを発行した喫茶店に行くことが出来た。音楽と珈琲を楽しみながら街で暮らす日々が綴られた文章がとても素敵で、その印象は店そのものであり、店主さんの顔と繋がっていた。レコードがスピーカーから流れ、珈琲を飲む。家でのんびりしているようなひとときは、旅であることを忘れるくらいだった。
京都は喫茶店がとても多いけれど、店の雰囲気や傾向に合わせてお客さんが来ている感じがする。静かに過ごしたいときの店、友達とお喋りしたいときの店、音楽を聴く店、本を読む店、珈琲を味わう店、ケーキを味わう店。
そして老舗の有名店でも観光地化していないところが素敵だなあ。店の佇まいは華美ではないし、接客もきめ細やかで、もちろんとても美味しくて、いい店だったねえと気持ちよく外へ出て旅の思い出になるのだ。


今回も京都という街の大きさと深さを発見し味わった旅になった。

こういうオモシロがあってこそ、人の暮らす街だなあ。