3日目:南禅寺水路閣からインクラインを辿ってダムへ行く


最終日1月4日の朝、ようやく京都タワーとご対面。特にどこへ行くかは決めていない。まずは駅から路地をくねくね曲がりキョロキョロ歩きながら北上する。

正月の初売りで賑わう河原町までやってきて、どうしようかねと思い、南禅寺にでも久々に行ってみようとバスに乗った。



バスの高さで見る京都の風景もまた楽しい。

そして南禅寺、ずずずと奥へ。

色褪せた赤煉瓦のアーチはいつ見ても美しい。

辺りには人がいるのに不思議な静けさが漂う。


アーチの向こうに進むと水路閣の上に上がれるようになっていて、流れる水の流れを追っていく。


こんなふうになっていたなんて、今まで知らなかった。

ここ「琵琶湖疏水」は琵琶湖から京都市内まで山々を貫いた水路で、明治時代に舟運、水力発電、水道などの目的でつくられたことを知った。




空き地の土管じゃなくって、当時使用していた水道管。

うぬ?これは…

琵琶湖から水路を辿ってやってきた舟を、この水色の台車に乗せて市内へ移動させたそう。傾斜となった路面で貨物を運搬するための鉄道設備を「インクライン」と呼ぶらしく、この台車は水力発電を利用し稼働していたのだ。
当時の写真がこちらに掲載されており、今回の記録に参考にさせていただきました。→「京都インクラインと琵琶湖疏水


おおおおおお!目の前に一直線に広がるインクラインの路線跡!興奮して歩く!
左手の柵の向こうに赤煉瓦のクラシカルな建物があり、格好良いので行ってみる。

関西電力蹴上発電所。日本初の事業用水力発電所で、ここで生まれた電気によって「京都〜伏見間を走る日本初の市電」の開通に大きく貢献したというーーーうおぅ、ふ、伏見!初日に行ったよ!偶然にもこんなつながりがあるなんて!

●京都の真ん中にダムがある

そして路上の地図を見ていたら平安神宮の近くに「夷川ダム」というものがあることに気付き、こんな街中に?と驚いて、そのまま歩いて向かってみることに。

こんな場所が京都の街中にあるなんて!
現在も水力発電所として運用され、京都市内に電力を供給しているとな!大正3年(1914年)に完成したということは、ちょうど100年!
明治時代、東京に都が移り急激に衰退していく京都を復興しようと始まったこの疏水工事は難航したものの、今も市民の暮らしを支えているわけで、困難ななか推進した当時の府知事や技術者たちの素晴らしい働きに、行政を司る人物が何を考え何を興すのかは本当に大切なことだと改めて痛感する。

今日南禅寺に行くことにしたのは思いつきだったけれど、昨日一昨日の「伏見」「鞍馬/貴船」に続いて、思いがけず水路を巡る京都散策になった。
鴨川へもう一度。



川のある街はやっぱりいいなあ。