「東洋のマチュピチュ」は天空にそびえる産業遺産 ~ 別子銅山跡

香川旅行日記の3日目は、県境を超えて愛媛県新居浜市へ。「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる景観の銅山跡があると知り、行ってみることにしました。
→ 「ARCHITECTURAL Map / 瀬戸内海地域最大規模の産業遺産群を見る 旧別子銅山


新居浜は駅舎も駅前も真新しくガランとしてて、大きく派手なデザインのホールが建設中。ちょっともんやり。ここからバスに乗るつもりがなかなか来なそうなので、タクシーに乗車。おかげで運転手さんから、駅周辺の再開発などこの街のアレコレを聞くことが出来ました。

15分ほどでマイントピア別子へ。ここは産業基盤の礎となった、別子銅山の施設跡などを利用したテーマパークで、GWということでかなりな人出、テンプレートの如き「観光地然」とした雰囲気にいきなり萎え始める・・・(しかも1991年開園ということは、ふるさと創生なニオイを感じるよ)が! 向こうに見えるは・・・

緑の樹々のなかに赤煉瓦が映えて、なんて美しいのだろう!水力発電所として明治45年に建設されたとのこと。
急にテンションが上がってきました(現金な奴)。
周囲には

こんな橋があり



物資運搬用のトンネルで、日差しが強く暑いこの日の温度差のせいか、中の冷気が霧状になって白く吹き出ていました。
説明書きに「住友」とありますが、別子銅山は1690年(江戸時代!)から1973年に閉山するまで、一貫して「住友家」が経営しており、今では「住友商事グループ」として日本経済を大きく支え続けた根幹ともいえるのでした。



トロッコ列車が!当時実際に使っていた鉱山鉄道。

さてこの先には


当時の採鉱の様子を学ぶことが出来る施設がありました。この手のって大概ショボイ(失礼)ものだけど、ここの展示は過不足なく伝えてくれていて、なんというか誠実さがあったのだなあ。



鉱害防止策が明治の頃から取られていたのってすごい。。。

マイントピアのキャラクターなんだけど名前がわからない・・・口から蛇口って・・・

さてここからはマイクロバスに乗って更に上へ、いよいよ「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる東平(とうなる)地区へ向かいます。急で細く曲がりくねり、すれ違うことも出来ない狭い山道のため、マイクロバスで向かうことを推奨され、地元ガイドさんが同行もしてくれます。

この大ループ!平成22年開通の青龍橋。


ここからはホントに狭い山道をソロソロと登っていくのであった。

マイントピア別子のサイトにあった動画(見て!これ!ちょっと!)・・・で、20分くらいで到着。

標高750mの山中にある東平地区は、大正5年から昭和5年までの間、別子鉱山の採鉱本部が置かれていました。社宅や小学校に劇場などが建てられ、昭和43年に休止するまで町として賑わっていたそうです。最盛期は3,600人を超える人口があったそう。町というか山岳都市! このひっそりと険しい山の奥にとは信じられない! 軍艦島を思い出しますね。。。

まずは歴史資料館で当時使用していた道具などの貴重な資料を見ます。バスに乗車したガイドさんが付いて説明してくれるのでとても勉強になりますが、時間が少ないこともありタッタカと進んでいくのがちと残念。

ここには作業員の方々の社宅がギッシリ並んでいたそう。


そして遂に・・・

う、わーーーーーー!!!!!

こ・れ・は!

下へ向かう階段は

物資を運んだインクライン跡! 急勾配を降りて行き遺跡の下へ。

ドドーン。強い光を浴びて神々しい・・・。
ここにあるのは停車場跡と貯鉱庫跡で、先ほどのテーマパークがあった端出場とを結ぶ輸送機関であり、採掘された鉱石は貯鉱庫に置かれた後、端出場へ下ろされ、逆に日用品が東平へ運ばれていたのです。とにかく光源が強く照り返し、わかりにくい写真で申し訳ないです。。。





こちらは銅山の幹部の住宅があったそう。先ほどの社宅と比べると……。

再び上に上がっていき





新居浜の町を見下ろす高く深い山の奥にそびえ立つ天空都市として、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるようになった所以もわかります。今日はピーカンだけど、靄がかった日などは更に雰囲気があるだろうナア。
説明としてこちらをリンクさせていただきますね。
→ 「マイントピア別子 公式サイト


こんな山奥にこれほどの規模の施設をよくつくったなあと圧倒されます。鉱山経営から派生して、機械、化学、電気などの産業や、道路や鉄道での物資の運搬、住宅に学校といったインフラを産み出したことで、その後住友重機械工業住友林業住友化学などあらゆる企業が生まれたことを教えていただき、日本の近代産業の流れがぶわーと目に浮かぶようでした。


昨今、産業遺産が観光地として脚光を集めるようになりました。5年前に瀬戸内海に浮かぶ犬島の精錬所跡にも訪れましたが、あちらはベネッセが絡んで”芸術”観点での「観光用」に整備されたことで小奇麗になりすぎてしまい、居心地が悪かったけれど、ここはまだあまり手が加えられていなく、既に取り壊された施設も多いものの、ほぼ当時のままの姿で残っています。また、先程も少し記しましたが、明治のころから既に煙害対策に取り組み、荒れ果てた山々に植林を始めたことで、今ではすっかり緑深くなっていることも語られるべき点のようです。

三菱が所有していた軍艦島世界遺産になるか否かで盛り上がってきた今、住友もこれから如何に活用するかといったところでしょうか。マイントピアやガイドさんの説明からは「住友の威光」が威圧ではなく、「住友さん」という敬意が含まれているように感じたのが印象的でした。ヘンにギラギラすることなく、近代化産業遺産としての価値を深めてほしいです。

→ 2011年の夏に行った軍艦島の記録を参照に。 「軍艦島上陸!

おまけ

東平地区から再びマイクロバスで下山して、マイントピア着。ここからまたバスに乗って新居浜駅へ向かいたいのですが、次のバスまでかなり時間があるのでどうしようかと考え、ググってみると8キロほど。下るだけだし、エエイ!歩いてしまえ!

とこんな県道をテクテク進むことにしました。当然歩いてる人なんていませーん。

川を挟んだ山際に見えるのは線路跡? 鉱山鉄道の跡かも!

あの煙突はなんだ?

製錬所の跡地であり、今は市民に親しまれる憩いの場所のようで煙突はシンボルになっているとのこと。こういうことを知れるのも嬉しい。

川を渡る。
ずっと下り坂だった道が平坦になってくるとともに住宅が増え始め、すっかり住宅街のなかになり、店が点在し、普通の暮らしが感じられるようになった。

1時間半ほどで駅到着。ちょうど目の前を高松行きの電車が通りすぎた・・・

駅舎は建て替えて間もない新しさがあって

こんな表示からも産業遺産を観光に活用しようとする思惑が感じられるのでした。