消えた街生まれた道〜新橋虎ノ門

都道環状二号線の内、長年未着工であった新橋〜虎ノ門間が漸く開通した。通称「マッカーサー道路」と呼ばれていて、以前も記したことがある。→ 「消える街生まれ変わる街〜虎ノ門
今日はこの通りを歩くことにした。新橋駅の南方面、浜松町側へ向かう。

正面に見えるのは共同通信のビル。高架の線路を挟んで赤い鳥居が見える。えらく不自然な位置。

ここ日比谷神社は真新しく、一目で移転されたのだとわかる。神社って移転できるものなのね。にしてもこの地で「日比谷」とは?と思っていたら、そもそもは「日比谷公園辺り」にあったものの、江戸城がつくられる際に「東新橋」に移転されたという。しかし関東大震災後の復興計画によって「新橋四丁目」に移転し、更に今回の再開発でまた移転……この流浪はいったいどういうことなのだろう。

左側の高層ビルは日本テレビ。真新しいアスファルトを歩いてく。

車道も歩道も広々としている。

両脇の建物は新しいテナントビルもあるけれど、ザックリと切り落としたかのような跡が残る建物も多かった。


残っている家屋もある。



信号右の建物は中華料理屋、この細さは道路のために敷地を削られたためだろう。



そしてランドマークになる「虎ノ門ヒルズ」がこれ。外構をせっせと施行中。

やっぱり六本木ヒルズに似てる・・・

この向かいの路地を覗くと

目の前と世界が違っていて息を呑み静止する。これがこの地域の本来だったのにね。

「蛇の目寿司」と看板、あああったよなあ…と昔の記憶が立ち上がってきた。しかし今はオシャレなリノベカフェ?と思ったら、「リトルトーキョー」というコミュニティスペースで、『「もう一つの肩書きを持てる場所」をコンセプトに、憧れの職業を試せる場』らしい。2011年以降の、イマドキな感じ。一掃されてつくられた街が見えるこの場所で「新しい生き方を見いだす」というのも面白い。
https://shigoto100.com/littletokyo

道路地図があった。まだ昔のまま。

再開発地域は赤く線を引いてみた。
桜田通りに出た。

空き地でコインパークになっててがらんどう。

ここ、多分、以前写真撮ったこのあたりかな。


そしてここが今回の目玉であるトンネルの出口。「目玉」というのは、長年頓挫していた計画が1989年に創設された「立体道路制度」により、道路自体をトンネル化し地上に建物を建設することが可能となったのだ。その建物は立ち退きを余儀なくされる住民の受け皿となるけれど、それだけで済むわけは無く、商業施設やオフィスなどが入る高層テナントビルとなる。

トンネルを出ると見えるのは

ポニーキャニオンのビル。右側に道路が見えるけれど、これも新設された道路。


以前はこんなんでした。


虎ノ門ヒルズを正面に、右手がトンネル。左手のビルは斜めになってるけど、以前はこの斜めの部分は2〜3階程度の別棟のようになっていて車のショールームだった。計画道路に指定されているために、後に失くせるようにしていたのだろう。

だから向かいのポニーキャ二オンのビルも変なんだよね。

新設された道路を進むと虎ノ門病院があり、以前からあった外堀通りにぶつかる。


以前の記事のときに添えた地図、今は埋め込み出来ないみたいなのでリンクします。
→「虎ノ門 道路予定地
今ならgoogle earth見ると、工事真っ最中の様子が残ってて面白いですヨ
→ 「新橋四丁目

初めて来た人やこれからの人たちにはこの道路上にはかつて建物があり、ここで暮らし働いていた人たちがいたとはとても思えないだろう。新しく出来た「街」で新しい雇用が生まれ、商売が成り立ち、生活が生まれる。そうやって街は更新して行く。今私がなんにも考えないで歩いている道だって、かつては……という話だ。そういうものだとは思う。
しかし私は界隈で働き歩いた思い出が随分と多いから、路地も家屋もごっそり無くなり新しい街並みと高層ビルに変身してる様に気持ちが追いつかないのだ。

JTビルの奥のアメリカ大使館に向かう坂道は厳戒態勢が敷かれていた。あのあたりの入り組んだ坂道歩くの楽しいのにな。
外堀通りをそのまま歩いて溜池山王駅から地下鉄に乗って新宿三丁目、ユニオン寄ってCD買って、ご飯を食べた帰り道は冬の16時台のような寒さと空の色だった。