消える街生まれ変わる街〜虎ノ門

卒業後、CDショップで働いていた私が事務職として転職した会社があったのは、虎ノ門界隈だった。虎ノ門霞が関の官庁を背にした古くからのビジネス街であり、「昭和」のニオイのするようなビルが多かった。今まで自分がいた世界とはまるで違う雰囲気だった。
最初こそ緊張しながら表通りを歩いていたけれど、次第にこの街の違う側面に気づいた。もともと江戸時代のころは武家屋敷や寺社が並ぶ街であり、驚くことに今もその面影を残していて、一歩路地を入れば今なお居住されている古い民家が軒を連ねる「下町」要素が感じられたのだ。
おせんべい屋さんや甘味屋さんによく立ち寄ったし、昔ながらの歯医者さんや教会など見ごたえのある建物が多かった。仕事でこの辺りを往復するたびに違う道を通ったり、帰りに散歩するのも楽しかったし、当時の日々を思い出す「懐かしさ」はこの街の持つ「懐かしさ」とオーバーラップする。
そんなわけで虎の門は私にとって想い出深い街だ。実のところちょっとアレな会社に入ってしまい、色々と大変だったから、ちょっと古傷が痛んだりもするけれど。


ちょうど一年前のこと。美術館に行くためにこの街へ久しぶりに来たら、あまりにも閑散としていて驚いた。休日のビジネス街のソレではなく、街の一部が崩壊していたのだった。


レコード会社がある辺り。壁の広告が去年の話題作…。

通った文房具屋さんが…。

ビルは残ってるけど、辺り一帯全てがらんどう。右のビルの1階は確か牛丼屋だった。

時々ランチを食べたイタリアンも廃墟と化していた!

ビルの谷間に雑草茂る空き地。
呆然として、頭をガツーンと打たれた気分になった。なにしろ働いていた街が機能停止し、ごっそり無くなっているのだ。ビジネスマンが行き交っていたあの日の風景を昨日のことのように思い出せるのに(嫌なことも一緒にね)! あれは幻?なんだかSF映画のなかに自分が入ってしまったようだった。
ああそうだ、あの鬱蒼と蔦の絡まる喫茶店はどうなった?


一軒だけ、ポツンと残って営業されていた!
いつぶりに来ただろうか。40年以上前に始められたこの店はその年月だけ外にも中にも積み重なったモノで溢れている。ごちゃごちゃし過ぎて逆に落ち着かないんだけど、それもまた良し。コーヒーも酸味が効きすぎだけど、それもまた味。


当時から虎ノ門の再開発の話は耳にしていた。戦後の復興都市計画の一つとして、新橋から虎ノ門に掛けて突っ切る道路がつくられるハズが地元の反対で頓挫されたままだという。

1946年に石川栄耀による東京都戦災復興都市計画街路の一つとして、幅員100m道路として計画された。しかし「敗戦国に立派な道路は必要ない」とするGHQの意向と、ドッジラインによる緊縮財政により計画が縮小され、幅員40mとなった。その後、計画区域が急速に市街化し、バブルによる地価の高騰の影響も受け、着手困難の状態が長年続いていたが、2003年にようやく事業化された。GHQは計画立案に全く絡んでいないが、戦後いつの間にか「マッカーサー道路」という名前で呼ばれるようになった。恐らく、東京港方面から直接アメリカ大使館がある虎の門を結ぶことや、広幅員道路がほとんど存在しない市街地を真っ直ぐ貫いて新道を作るという強引さから、「こんな無茶なものはGHQが計画したのだ」と誤解されたのではないかと思われる。汐留地区再開発に際してその名称が盛んにマスコミにも取り上げられた。 〜「マッカーサー道路」wikiより〜

この計画が今になって再び動き出したことで該当地域は次々と立ち退きされ、ゴーストタウンの状態となり、近隣には一足先に豪華な高層マンションが建設されていた。


この日受けた衝撃を書こうとしてもなかなか書けないまま年末になってしまった。年の瀬の慌ただしいなかに訪れた新橋で「そういえばあの再開発計画は、こっちまで続いてたんだよな」と思い出し、西口から歩いた。ごちゃごちゃと呑み屋があったはず。
しかし、





「広い道路の幅で」ごっそりと建物が消えていたのだった。


そして昨日。一年ぶりに虎ノ門へやってきた。
路地を進んで目の前に

え?

つ、通行止め?この辺り一体が柵で覆われている!


なんともともとあった道を潰して、大きな一区画の土地に生まれ変わるのだ!

より大きな地図で 虎ノ門 道路予定地1 を表示
薄いピンク色付けしたところがそのエリア。ここに高層ビルが建つわけだ。つい先日「廃道」された道の前で立ちすくむ。
【追記】その東西の、薄い青で色付けしたところが道路予定地。地図をよく見ると北西に斜めに進む該当エリアなど、ビルが斜めに建てられていて、「未決定の未来」の道路建設を踏まえていることが確認できる。虎ノ門病院内に突き抜ける箇所ありますが、壊すことを念頭に入れてつくられた別館だそう。こうやってジリジリと計画が生き延びていたんだな。。。

一軒だけ残っている古いビルの入り口には、持ち主であろうおじいさんが椅子に座ってぼんやりされていた。先に挙げた喫茶店へ行く気力はなくなってしまい、この先には進まなかったけれど、10日ほどまえ遂に閉店し、さっそく解体されたことをネットで知った。


正式事業名は「環状第2号線新橋・虎の門地区市街地再開発事業」、主導する森ビルによると「幻の”マッカーサー道路”を甦らせる都心再生プロジェクト」とのこと。そういえば、上に記した通行止めのエリア内を含めて、虎ノ門〜新橋界隈には森ビルがたくさんあったんだよなあ。
赤坂のアークヒルズ六本木ヒルズもそうだけど、昔からの民家がギッシリ立ち並び、利権と感情が複雑に絡み合う地域を長い年月を掛けて「取りまとめ」、ゴッソリと新しい街を作ってしまう森ビルのやり方は街づくりのひとつの方法ではあるけれど、どうにも腑に落ちない。
東京には「未完の都市計画道路」が多い。道路拡幅のための用地買収が進まないまま、歯抜けになった地域をよく見かける。森ビルはそこに目をつけ、官民で協力して沿線の区画を再統合することで、大々的に「道路整備+周辺都市再開発」を今後も実施していくらしい。長年反対している方も高齢となった今こそなのでしょう。

ヒルズ 挑戦する都市 (朝日新書 200)

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街の中に、その土地が持つ風土は関係なく、「森ビルの顔をした小さな街*1」がボコボコと出来ていく。ノスタルジーごっこは嫌だし古い街のままでいる問題点も多いけれど、割り切れないものだってどうしたって残る。土地は持ち主のものであるけれど、その界隈に住み、働き、訪れるひとの記憶を作るものでもある。
周辺にはまだこのような建物も残っている。

ここはお魚屋さんだった。

虎ノ門とは思えない風情溢れる民家、そのうちひとつはパン屋さんだった。コッペパンに卵サラダ挟んでたりするよな、昔ながらの。

ここも古い建物ならんでたけど駐車場になっちゃった。

この路地の奥、お茶漬け屋さんがあった。看板はまだ残ってる。猫がよくいたけど今日は1匹も見なかった。

忘年会をやっていたパストラルは解体中。閉館してたのか!

*1:森ビルに限らず、三井も住友も各社、再開発ビルの外観に一律したデザインを持たせることで周囲の街から目立っているのがイヤだ。