花代・Mark Borthwick・野中ユリ・福居伸宏


これはおとといの夕陽。そして今日は中秋の名月だった。帰りがけに煌々と輝く姿を拝み、余韻を残しつつ「月に囚われた男」を見たら不思議な気分、でも帰りにはもう月は見えなかった。
明日はまたお休みと思うとのんびりしてしまう。遅くやってきた夏バテが尾を引いているなか、リズムがますます狂っている。
日中はまだまだ日差しが強く、空気が熱を持ったカタマリ状態のなか歩いていたら、不意に塩素のにおいがしたのでプールを思い出してしまった。プールというと小学校のときのそれを思い出すのは何故だろう。プールサイドのキラキラとはしゃぎ声が聞こえてくる。帽子。25m泳ぐことが出来ると赤い帽子から白い帽子に変わる。いつまでも赤い帽子のままの屈辱。
さて、この数カ月で見た展示をまとめて書き留めます。


野中ユリ「夢の結晶力」展

妖精たちの森―野中ユリ画集

妖精たちの森―野中ユリ画集

恵比寿の、時折通る坂道の途中の、古いマンションの一室に表れたギャラリー。ドアを開けるとシュルレアリスムの薫りに包まれる。店主さんの美意識が詰まったここで野中ユリさんの作品を見ることができるなんて。
初期の銅版画作品から彩色版画、装丁を手がけたレアな書籍まで、ビロードのリボンをほどき、パラフィン紙をゆっくりとはがすように密やかに、見つめることが出来た。素敵だったなあ。
まだ新しい店内に西洋のアンティークの小物が馴染んで点在し、それも店主さんの連想がコトリコトリと広がっていくように置かれていて、店がひとつの物語のようでした。


■花代「colpoesne」
ギャラリーの真ん中に小さな小屋があり、ヘッドフォンをして中へ入るようにと指示が。ドキドキしながら入ると、ああ、そこには花代ちゃんが暮らす日々の風景が、あのぼんやりとした淡い光の中に佇んでいた。目からも耳からも、私はそれを追体験出来る。自分の境界線が曖昧になり、花代ちゃんの境界線も曖昧で、溶けていくようだった。記憶が遠くなりながら、ゾクゾク震えてくるこの感じは花代ちゃんだからこそだなあ。
この展示は新しい写真集「colpoesne」の発売記念。「袋とじ」になっているその写真集は、まだ開けない。


■Mark Borthwick展
ちょうど一年前の個展と同じ場所で同じくインスタレーション。ぼわんとした曖昧な逆光の写真はもはやありふれているけれど、展示方法でこうも魅せることが出来るのだなあ。立ち去りがたく、しばらくぼーっと眺める…というよりはこの空間に身を置いていました。あいちトリエンナーレのも素敵だっただろうな。(→昨年の展示について http://d.hatena.ne.jp/mikk/20090812/p1


花代ちゃんとMark Borthwick、同じニオイがあるのだなあ。


■福居伸宏 「アステリズム」
清澄白河の倉庫ギャラリーへ行った目当ての写真展にあまりぐっとこなくて、うーんと思いながら7階の小山登美夫ギャラリーに立ち寄ってみた。その展示がとっても良かった。
先に見たものと同じ、都市の風景をモチーフにした写真なのだけど、浮かび上がる存在感が凄い。
東京近郊の住宅街を中心に全て真夜中に撮影されていて、長時間露光により立ち上がる影と光が織り成す風景はガツンと頭の奥を揺さぶります。散歩したときの、夜行列車に乗った時の、あの風景とぶつかったような、でもそれは見たことのない世界だったりして、なんだかポカーンとやられてしまい、立ちすくしてしまった。長い年月がぎゅっと凝縮されて、バッと光を放っているような。こういう写真も好きだ。
http://www.tomiokoyamagallery.com/exhibitions/nobuhiro-fukui-exhibition-2010/