石橋英子withもう死んだ人たち

金曜日の本日はかねてから「池袋で川島か・神保町で成瀬か・渋谷でケシシュ」かと思っていたけれど、数日前にふと聴き直した新譜に改めてシャンッとしたところに、週末ライブじゃんか!と気づき、渋谷で英子さんと相成った。

当初の照明はステージ上にオレンジ色の小さな電球のみ。絶妙なバランスで点在し灯っていて、とっても素敵だった。そんな暗がりのなかから鮮やかにバシッと、理知的に構築された音が浮かび上がる。後奏が混沌としつつも濁らず幾何学的に美しく存在していたのも印象的だった。
それは美しい数式のようだった。心に着くたびに解かれる音はクリアで気持ちよく、耳が喜んでいた。
英子さんはほぼ唄に徹していて、敏腕なミュージシャンを揃えたシティポップのコンサートにも思えた。音の構成を細かに手繰れば改めて面白みもあるだろう。けれど、シンプルだった。ただ純粋に優れた曲がそこにあり、じめっとした感情が無い。それからドラマチックにぐっと昂る瞬間と冷静にふっと入り込む隙間があって、ゾクッとした。
音が見えた。音が役者のように立ち回り、場をつくっていった。

それと曲前の英子さんの朗読には、ベラ・ルゴシの映画をどうしてだか思い出した。バックバンドの名前が”もう死んだ人たち”だから?そもそもこの”もう死んだ人たち”ってネーミングが飄々としてて良い。彼岸からやってきて奏でてる音なんだな。朗読のときにデレク・ベイリーと云う名のジム・オルークが、不穏な音を密やかに付けていた。
そういえばどの曲のときだったか、不意にマグリットの絵を思い出した。具象的だけどどこか奇妙で醒めていて、でも美しい。

アンコールの曲は、以前担当されたファスビンダーの戯曲からということで驚いた。映画監督であるファスビンダーの戯曲が、元 映画館の舞台上で演ぜられるなんて面白いな。静かにしかしフツフツと流れて行く音はがらりと新しい世界を蘇らせていた。

舞台美術も素敵だったけれど、映像を投射するのに長けているここの空間を巧く利用して、三方に流れる映像はありがちな抽象とは異なる存在感がしかとあった。以前この会場で見た、とあるライブでも映像を使用していたけれど、目にうるさく音と乖離して聴覚よりも視覚のほうが刺激が強いのだなと思った。しかし今回はハイスペックな音と喧嘩すること無く同化し聴覚を邪魔することがなく、且つ、映像として単体で成り立つ美しさがあった。

英子さんの真紅の衣装が素敵だった。音楽であり、映画であり、舞台であり、絵画であり、文学であり、そんなあらゆる面が複合的に重なり合い、ひとつのライブとして完成されていた。と書くと小難しく見えるけれど、そんなお題目を払拭するのが英子さんのオモロイお人柄だった。そういうのを味わえるのもライブならでは。オープニングアクトの旅人さんの曲で入ったキーボードも良かったナア。めちゃくちゃ広がりとウネリがでてかっこよかった。

会場を出ると不思議な爽快感。けっこうな分量がからだに入ったのに重さが残らないのがすごいなあ。気持ちよく、週末の渋谷の喧噪を抜けた。