ふたりの唄

なんだか久しぶりに書き始める気がしているのだけれど、空き家にしていたこの1週間ちょっとのあいだにライブをひとつ見て、それから旅に出掛けました。旅記録はいつもながらまた改めて記すとして、今日はライブの感想を書くことにします。


そのライブは私が大好きな女性ミュージシャン2名によるもので、それを寝床で知った夜にガバッと飛び起きて予約したのでした。
会場はあまり訪れたことのない街だったから、午後はぐうるりと散策をしました。大通り沿いのオフィスビルの裏には個人商店や家屋が並んでいる、おおよそライブハウスなんて無いような一角の地下に潜ると、秘密基地のように小さく音楽を奏でる空間がありました。
先に登場した彼女はこの10年来、わたしのこころの奥底を震わせる人で、この日もある曲の途中で胸の奥にぐっと落ちてきて、その瞬間涙がぼろぼろ溢れてしまったのでした。いつも同じ曲のおんなじところでこうなってしまう。繊細で不安定で、何処を漂い何処に行くのかわからない、ぽつりぽつりと紡がれるその唄をライブで聴くたびに普通じゃなくなってしまうのだ。否、私のほんとうの普通に帰れるのかもしれない。あのメロディと余白はいったいなんなんだろう・・・。vo.で参加したアルバムに収録されたギターノイズ轟音の曲、これまでにないメチャクチャっぷりが爽快でカッコヨカッタ。

そしてもうひとり、20年来聴いてきてまさかこのタイミングでライブを初めて見ることになるなんて。キーボードを弾きながらエフェクターを操作してループループ、音の粒の創り方と組み合わせ方、この浮遊感は彼女のものだなあ。けれど演奏が長くなるにつれて、ふっと冷めてしまう自分がいた。彼女の音のひとり遊びに延々と埋もれることが出来なかったのだ、なあ。装飾のパターンを楽しむ隙間が今の私に無いのかもしれない。気持ちのいい空気が吸える野外の、樹々の繁る水辺で光を感じながら聴きたいな。実のところ、新たなパートナーとともにいる今の彼女の発言や活動を見ていると、音楽活動を密に出来なかった時期について考えてしまうのだ。そんなこと探りいれるつもりはないけれど、やっぱり「あの界隈」をずっと聴いてきたファンとしては寂しく思ってしまう。

最後はふたりでKevin ayersのカバー。なかなかスリリングな演奏だったケド、ふふふ。あー、胸がいっぱいになって夜道のなか、駅へ向かう。
ずっと自分の好きなものを見失わずに聴いているとこんなしあわせがあるんだなあ。