津軽旅日記:その1〜弘前の街を歩いて

7月の連休を利用した旅の行き先に決まったのは、青森県弘前市。初 青森! 城下町であり、明治・大正期の洋風建築物が数多く残されているとのこと、街歩きが楽しそう!

朝早い東北新幹線 はやぶさに乗車。東北へ向かう車窓風景は広々としている、仙台駅では心の中で手を振り、盛岡駅では川沿いを思い出し歩きたくなる。そしてここから先は未知の土地!と思ったら、トンネルが続き、長い暗がりが途切れたときに見えた針葉樹林の青き美しさ!
新青森駅で在来線に乗り換えて、昼頃に弘前駅に到着した。

隣の駅名・・・撫牛子?なんて読むの?(”ないじょうし”が正解!)


向こうの列車のヘッドマークに「こけし」とな!きゃー!「こけし号」?!とテンション上がったんだけど、後で調べてビックリ。ヘッドマークではなく「広告看板」なんですって!確かに下に「焼鳥 ●●」って書いてある……



改札を出るとやっぱりこんな謎な彫刻があるよ。


先日見た映画「モダン道中 その恋待ったなし」は昭和33年製作で、弘前の駅前から木造2階建が低く広がる街並みが映し出されていたけれど、今となっては高層のマンションと全国チェーンのホテルが視界を遮っている。とはいうものの、駅を背にして右方向へ斜めに進む道なりは映画で見たあの頃と同じで、今目に映る風景がすっと脳内の風景に重なったのだった。


駅の北方向へ歩いていくと再開発中で、これまでの導線を変えた道路を新設中らしく、がらんと広い空き地とま新しい家屋に古い木造家屋とが入り交じっていて、なんともヘンな時空間だった。


この標識にんん?と思い調べると、『40年ほどまえのこと、この近くの小学校に通う”ゆみちゃん”が”通学路が狭くキケンなので整備してほしい”と県知事に訴えて実現した歩道』があったみたい。ところがバイパス道路整備により無くなってしまったようで。。。歩道に提案者の女の子の名前を付けることに驚かされるけど、道路自体は消えてしまい、名前だけが残った、のかー。(でもゆみちゃん、ってまだご存命の御歳ですよね…)


住宅街の路地をくねくね歩いていき、古い食堂に入った。

名物の津軽そばがあるのだ。この日の夏真っ盛りの暑さには躊躇しそうなあたたかい麺だけど、旅の手始めに食べたかった。中に入ると、まじめだけど人の良さそうな顔つきのご主人が「観光で来たの?」と尋ね、出汁につかう”焼干”の説明を掲載された雑誌を手に丁寧にしてくれた。観光客には慣れているようで、随分流暢な喋りだった。確かにつゆは角がたっていなく、すっとお腹に入ってくる滋味深さで、いわゆる地方B級グルメとは真逆の味わい。まったくの余談だけど、店内の大きな液晶テレビに映るNHKの時代劇、遊女役の富田靖子の演技の凄みに引き込まれてしまった……。旅先でのこんなささいなことって、妙に記憶に残ってしまう。


再び歩き始める。

昔は茶畑が広がっていたのかな。

灼熱な暑さだけど青森では今が見頃になるのだな。



旅先で川を渡るのはいつも嬉しい。


一本路地を入ったところに、クラシック教会。

明治43年建築。こじんまりとした造りながら中に入ると、祭壇の装飾が素晴らしく見事!床の畳敷きなのとマリア様が日本画で描かれていたことが興味深い。写真撮影OKだったので一枚だけ……

教会はこのほかにも・・・

双塔のゴシック風様式はノートルダム寺院をモデルにしているそう。

煉瓦が美しくいい色あい。


元の道に戻りもう少し進むと、弘前城

桜の樹の緑に囲まれていて、春はさぞかし見事だろうなあ。


お城を過ぎて弘前公園内の奥にある弘前市民会館は前川國男による建築で、らしく”地味”な外観から中に入ると、

吹き抜けの天井は星空のよう! エントランスをぐるりとすると、

ベンチがモダン〜。こんな色をセレクトしたことが凄いなあ。というか、新たに設置したのだな。ここはどうやら最近改修したみたい。館内表示やトイレなど、今に合わせて手が加えられている。更に2階にはカフェが併設されていて、オシャレで落ち着いたいい雰囲気。後で調べると、かつては行政の建物にありがちな飲食スペースを今回のリニューアルにより、市内の人気カフェが運営をしているそう。全国チェーン店に頼らないところが良いな!


そしてもう一軒、前川建築。ル・コルビュジエに師事後、日本で初めて手掛けた建築物である「木村産業研究所」――― 現在は「弘前こぎん研究所」は、繁華街を外れて静かな住宅街にひっそりとありました。真っ白の外壁でシンプルだけど「あ、前川建築だ」ってわかる横のライン。館内は閉まっていたので入り口をひょいと覗き、エントランスを見上げると

!!! なんて素敵な朱色! 市民会館もそうだったけれど簡素な外観を経て中に入ったときの、粋な計らい。さっきの市民会館同様に、外観は周囲の景観と馴染むように、でも中を使う人にはさりげなく洒落てるところを伝えてくれる。

現在日本各地では、「建築的価値」を持つ建物が老朽化を理由に続々と取り壊しされているけれど、弘前市内には今もなお前川建築が多くあり、丁寧に維持管理され、これからも彼の精神を受け継ごうとしていることが感じられた。


弘前には江戸・明治・大正・昭和初期と時代を重ねた建物が数多くあった。それらを「観光資源」として活かそうとしていることが伺えたけれど、「街を歩いて見つけて欲しい」という気持ちが感じられるのがよかった。

市街地の地図がわかりやすい表示で掲げられている。

歩道沿いにある道案内もわかりやすく、いいタイミングで立っていた。シンプルなデザインも良い。

町名も城下町らしい名前で現在も残っている。そうそう、市章が「卍」なのね!びっくり。




風見鶏のついた朱い屋根がなんともかわいらしい! 商店街の並びにある時計屋さんで、ナント明治32年建築!

昭和28年建築ですが寛永7年創業の老舗和菓子店で、風格タップリ。弘前には古くからの和菓子屋さんがとても多く、津軽藩のころからの文化が感じられた。






軒下の飾りが「こぎん刺し」のようで美しい。


荘厳だったのがこちら、旧第五十九銀行本店本館。

明治37年に完成し、現在は青森銀行の記念館として保存・一般公開されている。

入り口、ピカピカ。

かつての接客カウンターが記念館の受付に。内部は見学が出来、優美に曲線を描く階段を上がり、2階にある大会議室の絢爛さは銀行というよりも鹿鳴館のようだった。当時これほどまでの建物を造ることが出来、今もこうやって残し開放していることが素晴らしい。


こんなふうに歩いて回って、あ、って発見する楽しみ。昨今はどこの街も観光バス用に道路や駐車場を用意しているようなところがあるけれど、決められた点と点を移動する旅ではなく、弘前の街を歩き、感じ、知る。

この道、幾度か通ったけれど好きな道。ゆるやかに上り曲がる坂。角は高層マンションに変わってしまったけれど、大判焼き屋さんに判子屋さんに器屋さんに喫茶店、ずっとこの場所にあって、この坂道を上り下り行き交い、買い物をし一息つく弘前の人々の暮らしがふっと見えてくるのだ。


※今回の旅も鉄道あり絶景ありヘンテコあり、複数回続きます!チビチビと書き進めていきます〜。