街の近現代建築あれこれ散歩

7月24日金曜日から6日間、熊本と福岡に行ってきました。今回の旅でも歩いたり電車乗ったり自転車乗ったりでぐ〜るぐる見て回りましたが、陽射しが強烈に強く暑くて、日焼け止めを塗り忘れた掌と足首1,2センチだけが赤黒くなってしまった・・・。
行程はこんな感じ。

1日目:熊本空港着 → 熊本県立保田窪第一団地 → 三角港 → ”A列車で行こう”乗車 → 熊本駅
2日目:”九州横断鉄道”乗車 → 阿蘇駅/レンタサイクル周遊 → ”南阿蘇鉄道”乗車 → 高森駅熊本駅
3日目:熊本市街地散策
4日目:熊本駅博多駅 → 志免竪坑櫓
5日目:博多駅八幡駅 → 河内貯水池・橋 → 門司港 → 小森江貯水池
6日目:博多繁華街散策 → 福岡空港

今日は「街で出逢った建物」を、そして「列車編」「産業遺産編」と綴る予定です。

■ 保田窪第一団地(山本理顕

熊本空港に就いてバスで市街地へ。途中で下車して向かったのは県営 保田窪第一団地。

1991年に「くまもとアートポリス」による集合住宅の完成第一号として竣工した県営団地。ちなみに「くまもとアートポリス」とは、"後世に残り得る優れた建築物を造り、質の高い生活環境を創造するとともに、地域文化の向上を図り、世界への情報発信基地「熊本」を目指すことを目的と"する熊本県の事業(熊本県のHPより引用)"です。当時の諸々を考えるとそんな派手な動きに納得……

エントランスのこの雰囲気・・・

案内板のこの感じ・・・90年代初頭の匂いがぷんぷん。。。


コンクリートブロックによる外壁や曲面の庇が印象的な外観に時代を強く伺えますが、奇抜さが素っ気なさにも感じられ、更に経年劣化したことでよけいに淋しく思えてしまう。修繕含めた維持管理をどのように行なっているのか気になります。
この団地の一番の特徴は、中庭を住棟が取り囲んでいて住民以外は入ることが出来ないことです。住民間の新たなコミュニティーを期待した面があり、子供の遊び場としても安心だと思いますが実際はどうだったのだろう。当初案の「1階に高齢者・子ども向けの併存施設」が実現しなかったこともあり、閉鎖的な空間に留まってしまったようです。公共住宅ならではの「実験」ではあるけれど、理念先行のまま20年以上経過したように思えてしまった。  
http://www.tozai-as.or.jp/mytech/94/94_yamamoto05.html

道路を渡ったもうひとつのエリアはちょっと印象が異なりますが、山本理顕の弟子にあたる新納至門設計。


空中回廊? 渡り廊下、になるんだけども活用しがいがチョット謎。

熊本県立美術館

朝から散歩を始めて熊本城へ。

広々とした敷地は管理が行き届いていて、美しかった。


一瞬ここは何処かと思ってしまうよな、シュールな白昼夢を見ているみたい。

通りかかって思い出した。

前川國男設計なのだ。受付でお話を伺うと、手続きをすれば館内撮影可能とお聞きし許可をいただきました。



縦と横のラインが織りなす空間の研ぎ澄まされた美しさは心を刺し、そしてやわらかく残る。

■ 熊本古町新町散策

いつもの旅と同じく市街地をサクサクガンガン歩いていたところ

こんな素敵なビルヂングを発見。大正13年竣工だそう。上手く撮れなかったのが哀しいけれど「街角」を美しく魅せてくれる建物にハッとさせられた。

なんと明治40年竣工!維持のため手を入れたことでチョットきれいになりすぎた感じはあるケド、高いビルに挟まれながらも存在感タップリ。

こんなふうに古い建物が今なお多く使用されていて、「古町・新町」と呼ばれるエリアが街歩きには面白いと知りぐるりと回ってみました。「古町」は加藤清正が熊本城を築いた際に開いた町です。




この界隈は唐人町といい、かつてはこのような町家や問屋に商店が並んでいたようですが、今はマンションに建て替えられたり随分様子が変わったみたい。


明治8年に架設されたので「明八橋」と呼ばれる橋。皇居の「二重橋」を架設した橋本勘五郎が帰郷して手がけた石橋のうちの一つ。

こちらは明治10年に架設された「明十橋」。

その橋の袂にあるのがこちら。夜撮った写真しか無くごめんなさい。銀行であった建物を保存・活用し現在は会社の事務所として使用されているそうです。


さて橋を渡り、新町へ。その名の通り古町以後に新しく作られた街。大阪や名古屋から商人や職人を定住させ、明治時代には世界でも最古と言われる写真館である冨重写真所(http://www.city.kumamoto.jp/html/kyouikuiinnkai/bunka/tomisige.htm)(外観撮るの忘れた・・・)など、新しい商いがここから始まったそう。


長崎次郎書店。明治7年に創業し、夏目漱石森鴎外も訪れたこともあるという。やむを得ず2014年に一時閉店したものの同年に営業再開。コンパクトな店内の面出しの選書に、書店員さんの姿勢とセンスが感じられた。大正13年に創建されたこの店舗は国登録有形文化財に指定されたほど美しいけれど、単に街の風景としてだけではなく、市民の心のランドマークなのだなあと思えました。  
http://www.nagasaki-jiro.jp/e860841.html




さて。古町に戻ります。

河原町繊維問屋街。 戦後こそ賑わったようですが時代が変わり、権利問題も複雑で建替えも出来ず放置状態だったところ、10年ほど前から再活用が始まり、今では雑貨屋や飲食店など若い人による小さな店が集まっているようです。朝に行ったので開店前の静けさな状態ですが・・・





岐阜市のやながせ倉庫を思い出しましたが、やはり2000年にはいってからこういった動きが地方都市で出てきたのだなと、そのあたりの年表があったら見たいなあ。


白壁が印象的なこちらはもともと築100年を超える老舗旅館で、廃業を考えていたところリノベによりテナント店舗として貸し出すことにしたそうです。中庭のような小さな空間を使ったタルト屋さんが素敵だったなあ。味もさることながら人が集まるスペースとして。
中心アーケード街”上通”の裏手に位置する”上乃裏通り”は、民家や倉庫が並ぶエリアでしたが、1987年に古い蔵を活用した飲食店が出来て以降、古い家屋を活かした店舗が増えているそうです。昨今のリノベ物件の先駆けともいえるのかな?なだけに、ビジネスライクな派手さが目立ってきている印象はありました。だからか、街にまた広がりが出ているようです。

繁華街を外れて白川を渡ったところに出来たこちらは邸宅(!)をリノベした複合スペース。以前はガレージだったという半地下のビア&コーヒーショップで休憩。川沿いで光が密かにやわらかく差し込んで気持ちのよいヒミツの空間。20代前半の若い店員さんに東京から来たことを告げ、暫く熊本の話に花が咲く。彼に教えていただいた2軒に続けて向かう。

こちらはインテリア用パーツ屋さん。元事務所かなにかだったかな。

10年ほど前にマンションの1階をDIYで改修して開店したコーヒーショップ。阿蘇で自家焙煎しているそう。隣の部屋を泊まれるようにしたり、展開を続けていらしてカッコヨカッタ。

熊本市には「小さな輪」が各建築物をランドマークとしていくつも点在し、それぞれが「独自路線」で推めている印象がありました。そんなところに熊本らしさがあるのかなあとなんとなく思ったりして。

■ 福岡市のリノベアパート

さて最後に熊本から福岡に移動して、のお話を少し。

繁華街から一本入った路地裏に、公営住宅の団地みたいなアパートが。



入口にはこんな看板が。1958年に建築されたものの老朽化が進んでほぼ空き家状態であったところ、ギャラリーや店舗、制作事務所などが連なるスペースとして再活用されています。民間の賃貸集合住宅を用途を変えたところが大きなポイントで、居住性を考えると現在では難しい点もクリア出来るし、新しいコミュニティーが生まれ、輪が広がっていくし、よい試みだなあ。既にビジネスとして次々と新たな展開が広がっているようでした。

でもこういう手作りなごちゃっとしたテイストって似てしまうのは何故だろう。熊本の河原町繊維問屋街や岐阜市のやながせ倉庫もそうだけど、なんかこう下北や高円寺な匂いがする。逆に下北や高円寺ではこのノリが壊滅しているようなところがあるのだけど。。。