あみこ

昨日今日ともんのすごい暑さだった。久々に熱波を浴びた。茸や栗や梨に葡萄と、秋の味覚を目にしながらもこの真夏の暑さ。異常だと思うことはいつのまにか当たり前になるのだろうか。


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「あみこ」鑑賞後居ても立っても居られない熱意あるツイートをいくつか見かけるようになった。どんな映画かなと少し調べると、若い女性監督作ということとポップなメインビジュアルが「今の私向け」ではなさそうだと思ったものの俄然見る気になったのは、「長野県に住む自意識過剰な女子高生、あみこを描いた物語」って言葉を目にしたからだ。だって、私も”長野県に住む自意識過剰な女子高生”「だった」(ロングロングタイムアゴー)から!
記事をそこで読むの止めて、他のも読まないで、とにかく東中野へ向かった。レイトだけど頑張る・・・!東中野に行くなら夕飯はタンメン一択。久々に食べたら記憶の中の美味しさとはちょっと違ってた、あれれ。そしてポレポレへ。連日満員とのことで怯えてたけど、この日はそうでも無かった。それでも8割ほどの入りだろか。

アオき赤い衝動。卑屈な主観の客観で出来てる確信犯。恋は甘酸っぱくなく、しっかり酸っぱい黄色いレモンだよ。こういうことをやりたいんだーーー!って突拍子もなさテンコモリで、サイコーだった。まさにファースト・アルバム的な初期衝動。


イマドキの長野の高校生のあみこは「iPhone」で聴いてた「レディオヘッド」がキッカケでアオミくんと急接近し、親に内緒の東京へは「高速バス」で向かうのだけど、かつて長野の高校生の私が使ってたのは「ウォークマン(赤の!)」で、聴いてたのは「フリッパーズ」で、親に内緒の東京行きは「夜行電車」だったけど!な! 後で知ったけど「キャストはtwitterやインスタで探した」ってのも「時代……」とすんごい衝撃的だった。
ちなみにウチの高校は私服のこともあり、映画としてセーラー服の記号性を改めて感じたし、制服だと「見た目の主張」が均されるんだなー、でも目つきでどういう子かわかるって演出が感じられて面白かった。

今の高校生が「他の子とは違う私」として「レディオヘッド」ってのは、私が高校生のとき(90年代前半)にクリムゾンの「太陽と戦慄」(70年代前半)を聴いてるような時代感覚なんだろか。でも「ロータスフラワー」はレディオヘッドグラミー賞取った2011年リリース曲で、そのへんがあみこの微妙な薄さを思わせる絶妙な設定なのかな。
それはそうと、この手の「自意識過剰な女子高生が主人公」の映画って「ゴーストワールド」を始めいくつもあるけど、悪態一緒につける親友が必ずいるのだよ。ねえ。ワスはいませんでしたいませんでした(二度言いました)

映画好きが講じて「映画監督」になるとして。でも映画好きって一人が好きでしょう(偏見)?でも映画って一人じゃ作れないし、自分を詰め込んだものを不特定多数が見るってどんな感情なのだろうかとずっと私は思っていた。

・わたしはついに寂しくなったのです。無理にでも他人を巻き込んで、自分一人では作れない劇映画をすぐにでも作らないといけないと思い立ちました。そうして完全に自分のために、自分を救うためだけに『あみこ』は動き出しました。
・感情は日々死んで更新されていくものなので、その瞬間瞬間を映像にのせることだけできれば良いのだという確信がありました。
『あみこ』公開に向けて

そんな想いが詰まった映画からエネルギーを受け取って、「自分を救うためだけ」の映画が「誰かを救う」映画になる。年齢性別関係なく。19歳で本作を作った山中監督はその事実を受け止めて、これからどんな映画を撮り続けていくのだろうか。


にしてもなんでチラシのコメントがあのふたりなんだろか。文化系マッチョな著名人ではなく、もっと若い子を惹き付ける人選があるでしょう・・・!と憤慨したけど、若い子はチラシじゃなくてSNSが見るキッカケだろうし、チラシは我々世代へ向けたメッセージなのでしょうね。レイトじゃなくて、土日の昼間に上映されて10〜20代にたくさん見てもらえれば良いのにな。