”all about cornelius"を読みながら思い出すこと

cornelius旧譜リマスター、「point」とともに「The First Question Award」も発売されたので驚いた。気恥ずかしくなるような、90年代前半の音とアオイ声が詰まったアルバム。”「アメリカで『POINT』をリイシューしないか?」という話があったので、「じゃあ、1stアルバムも一緒に出そう」”という経緯だと、以下の記事にて知る。
www.cinra.net


今回、映像作品「Mellow Waves Visuals」、更に書籍「続・コーネリアスのすべて」と関連4作品がリリースされて流石に一括購入は厳しく、この2つをユニオンで買った。

Point

Point

別冊ele-king 続コーネリアスのすべて (ele-king books)

別冊ele-king 続コーネリアスのすべて (ele-king books)

ちなみに店頭で気づいて、YBO2の2004年ライブ盤も買った。栗原さんがギターの。


「point」、ジャケの青マルが特殊加工でザラッと浮かんでいるのが良い。そんな触感同様に、音の粒が磨かれた感は確かにある。ズゥン!と落ちてヌケる音の気持ちよさ。無菌室にいるのに宇宙まで広がる開放感がある。ラストのパスっとした無音!だからボーナストラックが収録されているのが残念だったなあ。「続・コーネリアスのすべて」は盛りだくさんでまだ読み切っていないけれど、とてもおもしろく発見がある。インタビューで当時のことが語られると、私も当時のことを思い出す。小山田くんの音楽活動はそのまま私の音楽遍歴と重なるのだ。


フリッパーズを知ったのは、近所の喫茶店(ここの店主に中学の頃マット・ビアンコやETBGのレコードを借りた)で、後にバイトすることになるレンタル店のお兄さんが読んでいたフールズメイトだ。高1の夏、商店街のCD店に1枚だけ入荷した1stを買った。カセットテープにダビングして、買ってもらったばかりの赤いウオークマンで自転車通学中に繰り返し聴いた。高2の夏は2ndリリース前にポスターを貰って部屋に貼った。先述のレンタル店でバイトを始め、店主にリクエストして入荷してもらった盤を聴きながらレジで宝島を読むという、働きぶりだった。東京へ行き、ヴィニールやハンターに行った。何しろ挙げたらキリが無いほど「人生の大名盤」がリリースされまくった年であり、フリッパーズが語る盤を追うような毎日は、まさに夏休みだった。高3の夏は3rdを買いに行った帰り、この頃足が痛いので外科に行ったら、数日前に学園祭の用意で暗幕貼ってた机の上から落ちたときに、足にヒビが入っていたことが発覚し、即入院。枕元に置いたまま聴けたのは1週間後だった。そもそも勉強しないくせに、東京に行ってフリッパーズの(だけじゃないけど)ライブを見るんだ!って誓ってた。さすがに勉強しはじめた秋に、突然の解散(によるライブ中止……)を新聞の社会面広告で知った(ギャラクシー500もね)。呆然。


なんとか進学できて上京した。zest・HMV・WAVE・CDぴあにはほぼ日参し、狛江に住んでいたので(路線上の)下北も馴染みの街になり、zooに行ったりもした。小山田くんがDJすると知り、インクスティックに行ったときもあった。サバービアなイベントだった。私は所詮ロック脳だからか、サバービアでフリーソウルでクラブ・ジャズなノリにハマれなかった。遂にリリースされた小山田くんソロがジャミロクワイ(zestで「ソウルフルな声のオバサンだけど詳細不明」ってプライスカードに書いてあった記憶)みたいな音だったから、エエーっと思った。ピンと来なかった。1993−94年当時の私はステレオラブとブラー、dip(UKP 1st!)だったのだ。


2nd「69/96」の音にもハマれなかった。過剰で煩かった。それは1995年、小沢健二が大ブレイクしていたし、小山田くんもカヒミもテレビに出るような状況に嫌気が差していたこともある。なにより、moonwalkの色違いカセットやポータブルレコードプレイヤーなど「渋谷系」と名付けられるものが次々と消費されてく様を目の当たりにしていた。(そもそも、©Tシャツもねえ・・・)音楽で浮かれるならば私は1階JPフロア太田さんではなく、地下洋楽フロアのブリットポップだったし、クワトロWAVEだった。


97年、喧騒がお祭り状態で膨れ上がる中でリリースされた3rd「FANTASMA」にもやはり入り込めなかった。特製イヤフォン付とかそういうのにもうんざりだった。「トレインスポッティング」のサントラが売れ、SpiritualizedYo La Tengoまでもが盛り上がった頃。mogwaiPortisheadも好きだった。ciscoオルタナ店によく行っていた。
その後生活環境が変わり、思い入れあるアルバムはパッと思い浮かべられない。引っ越したせいもあるけれど渋谷はたまにしか行かなくなり、新宿駅横の商業ビルにタワーレコードが移転して、ユニオンと合わせて行くことが多くなった。


そうして2001年「point」には安堵する驚きがあって、ソロで漸く、好きな盤となった。思い返せばリリース前夜の2000年聴いていたのは、ヨラの「And Then Nothing Turned Itself Inside-Out」とか、idaやL'Altra、eelsだった。小山田くんが「情報の洪水に疲弊した」と言っていたけれど、こういう音楽を作りたくなる時代だったのかもしれない。評判が良くなくて売れなかったそうで、今のようにネットで反応を知ることも無いから、そうだったの?!と驚いた。この頃高円寺の外れに住んでいて、ライナスレコードや、開店したばかりのsmall musicに通ったりしてた。


2006年「SENSUOUS」リリース時はY氏レクチャーで音の聴き方が変わったことで、進化した音をもっときちっと深く聴くことが出来るようになった。ただ聴ければいい、ではなくて。HMVとかワルシャワとかsome of usとか、「渋谷でレコハン」が復活した。特にHMVは「素晴らしきメランコリーの世界」「ボルヘスに聞け」とかコーナーがすごく面白くて楽しかった。


こんな回顧を書きたくなるほど歳を取った。何しろフリッパーズ1stから30年だ。あの夏は今年のような酷暑ではなかったはず、と調べてみたら、今月に入って最高気温35〜33℃/最低気温25〜26℃のところ、89年は最高30〜31℃/最低23〜24℃って。ホントに違っていた。