「My Secret World - The Story Of Sarah Records」


2014年、イギリスでSarah Recordsのドキュメンタリー映画『My Secret World』が公開されたと知ったものの、観ることができない悲しみに暮れたことは大学生の頃の記憶とごちゃ混ぜになってしまうから、「マイ・シークレット・ワールド」として日本での上映を字幕付で実現させたのは大阪の大学生サークル〈映画チア部〉であることに驚かされる。メンバー4人の内の1人がこの映画を上映したいと切望し、メールによる交渉の末上映権を獲得、仲間たちの協力により字幕をつけて配給、映画館で上映させたのだ。
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サラ・レコーズを全く知らないメンバーもいたにもかかわらず実現できたことで、彼らの活動が閉鎖的な仲間意識ではないとわかるし、87年、イギリス ブリストルの大学生2人が始めたDIYな意志が、国も世代をも超えて同じく大学生に継承されたゆえの行動なのだと痛感する。狭いコミュニティを描いた一部の人にしか通用しない話ではなく、大好きな気持ちをキッカケに同調圧力に屈しず「何か」を生み出したパワーを描いた普遍的な作品なのだ。



イメージフォーラムのレイトショーに怯んだけれど、意を決してY氏の分と2席予約した。当日は台風上陸の悪天候な一日でどうしたものかと悩んだけれど、レイトなのが功を奏して夜に雨が弱まったタイミングで外へ出た。奇跡的だった。


レーベルオーナー、クレアとマットの強い意志が紡いだレーベルであり、辿った歴史こそがサラレコードの魅力なのだなあ。満席の映画館で聴くサラの楽曲はまた格別で、たくさんの人と一緒なのにひとりぼっちの部屋に私はいた。どのバンドの曲もあー好きだなーと改めて感じたのだけど、思い入れが特に強いのはblueboyで、クワトロでのライブを見に行ったことを思い出す。若かりし日々が動いたキッカケ。

邦盤の解説を読み返すと、瀧見さんと小出さんとネロリーズの淳さん3人の言葉が素敵で、そんな個々の想いを重ねてしまうバンドなのだなと改めて泣けてしまう。


ジャケットに映る風景にブリストルへも行きたいなあと思ったものだけど、「この街の良さを伝えたいから風景写真を使った」というクレアさんの想いを知ることができたのも嬉しかった。コンピの「in this place called nowhere」、解説の“しゅがふろすと“山内さんの言葉も、「ここはブリストル」と付けた邦題も素敵で、サラを語る上でクワトロレーベル・渋谷クワトロWAVEの荒木さんにも大きな感謝を送りたい。そして2000年に入り下の世代へ繋げてくれたアップルクランブルの松本さんへも。



・レーベル設立当時、クレアは19歳て!!
・前身レーベルSha la laではフレキシでリリースしてたのは、フレキシは耐用性がないから「50回聞けば壊れる儚いポップソング」という意味があったなんて素敵だなあ。当初からのそんな意識を最後まで忘れなかったんだな。
・レーベルは100作リリースで幕を閉じ、マットはシンカンセンレーベルを立ち上げたけど、クレアは会計士になったそうで、その潔さ。
サッチャー政権下、「1事業に補助金40ポンド支給」という政策に申請して初期費用を得たそうで、これはクリエイションも同様とのこと、日本じゃ昔も今もあり得ない〜〜。
・ファンジンと手紙のやりとりを重ねてファンを広げたり、バンドを見つけてたって話で、「どうして僕には手紙が来ないんだろうと思ってたら“あなたは手紙を出してこないからよ!”と言われたというの、交流が楽しめる人と苦手な人の差を感じて辛い。私は後者……
・tweeは当時侮蔑的な言葉だったの知らなかった。言葉の意味の変化ということでいいのかな。NMEなどで酷評されてたことも全然知らなかった!後で知ったけど一部評価してた人でボブ・スタンレーの名前が出てたそうで、なるほど!
・クレアは秘書に間違えられるなど「女性蔑視」の状況に憤慨していて、そんな世間に対し毅然としていたマットの姿勢も素晴らしい。
・タイトルはthe Golden Dawnの「My secret world」から。花を育てるようにレーベルナンバーを集めて「私の秘密の世界」をファン一人一人が作ったのだなあ。
・最後「マシューとキースに」との字幕に、ジーン…


大阪での上映時にクレアさんとのティーチインがあった。zoomを使ってこんなことができるのも時代の変化だな。
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思い出としてよく残っているのは、マットと一緒に家の中で封筒を作ったり、レコードのジャケットを作ったりしたことです。

ああ、そんなささやかな時間こそブワッと思い起こすのだよなあ。若い頃に奮闘した日々を冷静に温かな眼差しで語るクレアさんは素敵だ。

私は今53歳なのですが、次の世代が創作活動をしていたり自分がしたいことをするのはとても良いことだと感じていました。実際にクリエイティブなことをしているのは若い世代であって、自分よりも若い世代がこのようにクリエイティブなことをしているのは良いことだと思います。

自身の思い出語りではなく、今を生きる若い世代を尊重しているところも素晴らしい。そんな彼女だからこそ、マットという理解者に出会い、レコードをリリースしたいというバンドを見つけることが出来たのだ。掌で作り上げたレコードは理解してくれる人に伝わり、ファンを大切にし、自分の情熱を貫いた日々があったのだろう。
サラレコーズが届けてくれたカケラを受け取ったのは当時の私がいた場所ゆえで、まさか30年後に映画が出来て、夫と一緒にレイトショーで見に行くなんて今に繋がっていることに感謝する。台風が抜けて気持ち良い風が吹く美しい夜空の下、感想を言いながら宮益坂を歩き渋谷駅へ向かった。

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