「すべての夜を思いだす」



多摩ニュータウンが舞台の散歩映画とはなんて私向き!と思ったものの、歩車分離の起伏ある街並みをもっと感じたかったし、そこから立ち上がる人々の暮らしをもっと見たかった。私が見ている風景、私が見てきた記憶、その層が違うのだろうか。

そこにあった思い出も何もかも消えてしまったかのように感じるけれど「記憶」として残り続けていると思うんです。つまり、「不在の存在」のようなことを意識して撮っていました
映画『すべての夜を思いだす』清原惟監督インタビュー - TOKION

意識された「不在の存在」には喚起されなかったんだろうなとぼんやり考えている。


清原惟監督は92年生まれで現在32歳、今の時代ゆえ真面目で社会への強い使命感を持っているのではないかと思う。
「こんな問題意識を持っている」「こんな記事を読んだ」が貼られたスクラップブックを見ているようで、1本の映画作品としての強い芯と吸引力に欠けていると思えた2時間だった。心が動くショットやシーンが無く、ストーリーテリングに唸ることもない。ストーリーではなく「ナラティブ」を紡いだ(流行りなのでわざと使ってみた)ということなのかな・・・。
ユートピアのテーブル A table of utopia:2022年|美術館・アート情報 artscape
この映画のプロトタイプが上映されたこの展示全体もそんな雰囲気があり、自分が語りたいことありきの印象を受けた。



中年以降の描き方が容赦無くツラい。遊ぶ子供への行動、ダンスする若者を見た時の行動、ハローワーク職員や元勤務先同僚に、はたまたガス検針職員への会話など、言動・行動に「こういうオバチャンいるよね」視点があると穿って思えるのは、私が我が身を振り返ってしまうオバさんだからだろうか。監督が持つ「いつか私もそうなるかも」という怖れゆえの描写なのだろうか。大学生の写真屋での会話に愛想皆無なのは今はそういうものなのだろうか。徘徊が記憶のノスタルジーとして語られるのも情緒的すぎる。彼らがふと見せる表情は世代関わらず誰もが持つものでそこに共感は出来ない。



誕生日のお祝いケーキが映るホームビデオに「ワス世代にはこんなものはなかったよ」と思いつつ、後で見返すと写真でもアワアワするのに映像なんてと恐ろしくて震える。1枚の写真から立ち上がる記憶の前後は改竄できそうだけど、ホームビデオに刻まれた記憶は動く証拠として残るのだな。



そんなことをつらつら思いながら、この映画を構成するのは世代の違いなのか断絶なのか。
この映画に取り入れられた「死」は大学生の若い命だけど、多摩ニュータウンの団地では毎日たくさんの高齢者が孤独死している。土地の歴史として「縄文土器」が登場したけれど、第二次世界大戦中には「戦車道路」と呼ばれた緑道は上がらない。

「映画をつくるために視点を選ぶというより、私たち自身がここにいることから映画の視点を見つけていく」
『すべての夜を思いだす』インタビュー(前半) 清原惟監督・インタビュアー月永理絵さんーー映画をつくるために視点を選ぶというより、私たち自身がここにいることから映画の視点を見つけていく。|映画『すべての夜を思いだす』清原惟監督|2024年3月2日ユーロスペースほか

今いる場所で映画の視点が変わるということ。私は多摩NTの各方面を何度も歩いているし、仕事であらゆる世代の「他人の歴史」や「誰かの記憶」に携わり、最近母や義父が亡くなったこともあって、この映画は視点が狭く小さな箱庭に感じてしまう。意志ではなく、ムードが醸し出されるに過ぎない。


そうそう、テラスハウスや一軒家も出てきたのは良かった。多摩ニュータウンはいわゆる団地、だけではない。そもそも団地といっても「URか公社か、分譲か賃貸かはたまた都営か」で描かれる層は変わるのに、フィクションでは作り手が描きたい物語を誘導できる画一的な「ハコ」でしかなく、大抵「5階建階段室タイプELV無」なのはこのタイプしか頭にないのだろうか。実際は廊下型のほうが多いように思うし、「童夢」や「家族ゲーム」が描いた「高層団地の光景」は引き継がれていないのだろうか。

多摩NTでも多摩市と八王子市では行政の扱いは諸々違うことで暮らしも異なる部分があるだろうなとか、ハローワークも管轄違うなーとか、多摩市は若い世代が再生事業をしてるけど八王子市は……などと余計なことを考えてしまい、映画自体に没頭できなかったことも大きい。

でも、こうやって長文を書かずにいられないし、感じ取りたいものがあって、今日現在書いたことが今後更新されるかもしれないなとも思っている。



※以下、過去記録を参考に。


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