「アンナと過ごした4日間」→「TOCHKA」


昼休み、公園をお散歩することが楽しい。


金曜日。イメージフォーラムにて「アンナと過ごした4日間」を見た。曇天のくぐもった空。陰鬱で不穏な空気が漂う東欧の田舎町。冒頭のシーンだけでクッと引き込まれてしまい、離れてしまうことがなかった。
彩度の低く重苦しい中に表れる冷たく冴えた光が美しい。
目からじわじわと刺激されるだけではなくて、スクリーンを立体的に浮かび上がらせる音響設計も素晴らしいから、椅子にぎゅっと座って映画館の暗闇に包まれて息をひそめて見ていた。この風景は彼(と彼女)の心象風景であり、どうしたって明るい展開になりそうもないことを感じながら。
それでもどこかに軽妙で不思議なところがあって、ただ絶望の谷底へ落ちていくのではなかった。
1シーンだけ、かすかに明るい空が見えた。鈍いオレンジ色の屋根が並ぶ街並みの向こうに灰色の雲を低く浮かべて広がる水色の空。チラシにも使われたこのショットは、晴天など望めないようなポーランドでもこんな空がある瞬間を監督が掴まえたものであるし、それは人にも当てはまるようにも思えた。

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ほぼ表参道にあるここから、坂を下ってまた上がって、パルコを抜けて渋谷の喧噪を突っ切って、ヴィロンで明日の朝用にプーリッシュ・ドゥミ(これとコンプレノア ドゥミが大好き)を買い求め、更にだだだだだと歩いて到着、ユーロスペース

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TOCHKA」。恐るべき、野心に満ちた映画だった。噛み合ないショットで見せる会話も、ブンガク的モノローグも、ラストの壮絶な闇も、
これが劇場映画デビューという監督ならではの「若さ」を感じながらも、「撮らずにはいられない」という切迫感と覚悟がヒシヒシと伝わってきた。
ほぼ2人しか登場しないのに、彼らは会話などしていない。ただ、独り言を呟き合っただけ。根室の冷たい荒波がうねる轟々とした「音」が主役かのように響き渡る。波で耳を塞いで、朝など来ないように自分だけの闇の中にひたすら深く深く沈んでいく様を見届けることしか出来ない。
見終わって階段をたたたと降りながら、冷たい波の音が全身に沁み込んでいるのを感じた。窓の向こうから漏れてくる酔っぱらいの騒ぎ声さえも封じ込んでいたけれど、外へ出て大通りへ出るころには効力が無くなってしまった。
監督はこの作品を作り上げて、解き放たれることが出来たのだろうか。それともますますトーチカの闇に魅入られてしまったのだろうか。


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この2本、どちらも重みがずむんとやってくるのだけど、「アンナ〜」には監督の歳を取っただけの軽みがあり、「トーチカ」には若いからこその力技があって、そんな違いも面白かった。